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大関株式会社の本社工場と酒蔵へ

 駅前で合流した編集者やカメラマンと共に、車で大関株式会社へ向かう。場所は西宮。海辺にほど近いところに、本社工場と酒蔵が隣接している。

 ものごし柔らかで上品な長部訓子社長に挨拶し、大関の歴史と今津灯台の歴史をまとめた映像を拝見してから、酒蔵と灯台を案内していただく。

 カップ酒というのはコンパクトでありがたい発明である。個人的には、紙パックの酒にどうしても抵抗があったので、ガラスに入っているから飲み心地もいいし、短時間で飲み切れるサイズなのもいい。今は各地の酒造メーカーがカップ酒を作っているので、それぞれデザインを競っているのも、眺めていて楽しい。ありがとうございます、たいへんお世話になっております、大関様。

 酒蔵は、秋の仕込みが終わったところだそうで、それでも工場内には清冽な、ほのかに甘い、フルーティーで爽やかな香りが漂っていた。

 知っているようで知らないのが酒造りの世界。

 なるほど、酒粕がのし餅みたいな形をしているのは、あんなふうにアコーディオンみたいなフィルターで濾しているからなんですね。

 風雨に晒されてきた灯台は消耗も激しく、何度も建て替えられているし、海岸線の位置も浸食されたり、埋め立てられたり、と歳月を経てずいぶん変わっているので、現在は水門の外側に移設されている。

 建立当初は、菜種油を入れた皿に火を点け、滑車でてっぺんまで持ち上げて、油障子で風を防ぐという行灯型。日暮れと共に丁稚が菜種油を補給する点灯式が毎日続けられていたという。

 清酒というのは鮮度が大事。特に新酒は、江戸まで一番乗りを競う帆船レースが行われ(きっと一番乗りに命を懸ける船乗りたちが熱血レースを繰り広げたのであろう)、最短記録はなんと五十七時間。西宮から江戸まで二日ちょい、というのはすごくないですか?

 なにしろ最盛期には江戸まで百二十二万四千樽が運ばれていたというのだから(一八二一年の記録)凄まじい。

 それだけ、灘の酒の名前が全国に轟いていたことの証である。

 そのような「うまい酒飲みたい」人々の変わらぬ願いに思いを馳せつつ、復元された灯台の中を見せてもらう。

 二〇二三年に移転工事が行われた現在の今津灯台は、見かけは和風でまさに巨大な行灯、という感じ。あるいは、小さな屋根を戴き、四角錐をしたこの形はお寺にある鐘楼を連想させる。

 えてして、酒造会社というのはその土地の風土に根ざした地場産業なので、エリアの文化的擁護者を担うことが多い。今津でも同様、地元の酒造会社は学校を作ったり、教育施設に熱心に投資し、地域の人材の育成に貢献した。

 印象に残ったのは、大関の方が着ていた鮮やかなブルーのコスチュームだ。

 最初は、酒造会社の人がよく着ている法被かな? と思ったのだが、よく見ると法被ではない。Tシャツでもないし、それはいったい?

 尋ねると、それは日本財団の「海と日本プロジェクト」の一環で作られた「ブルーサンタ」の衣装だというのであった。確かに、言われてみれば、このデザインはサンタクロースが着ているアレを青にしているものだと気付く。「実は帽子もあるんですよ」と、てっぺんに白いポンポンのついた青い帽子をかぶってみせてくれた。えっ、なんだかとっても似合っていて可愛らしいです――と、酷暑に日陰のない今津灯台の、夏のサンタにぼうっと見とれてしまった。

2025.09.17(水)
文=恩田 陸
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2025年9・10月号