この記事の連載

何者でもなかった伊藤さんの運命は、ある日を境に急激に変化することに。「私たちの時代」の到来を喜んだのもつかの間、どこか予感していた「特別な魔女」との友情は終焉を迎えます。魔法のない時代に生きる女たちの「魔法」にまつわるエッセイ、第5回です。(前篇を読む)

 数カ月後、ある雑誌から仕事の依頼が来た。テキストと一緒に、私をモデルとして表紙に使いたいとのことだった。打ち合わせに来た編集者は表紙を撮るフォトグラファーの候補として、真っ先に彼女の名前を挙げた。昔から彼女のファンで、今回の特集はぜひ彼女に写真を撮ってもらいたいのだという。私はもちろん、ぜひお願いしますと返事をした。嬉しかったのは間違いない。これで彼女の写真をたくさんの人に見てもらえる。みんなもきっと彼女のファンになって、彼女には商業の仕事がたくさん舞い込むに違いない。断る理由がなかった。でも、たしかにそのとき、「これは絶対に無事では済まないな」とも思っていた。彼女が彼女の作品をどれだけ大切にしていて、どれだけ思い入れがあるかを知っていたし、その潔癖さが商業の場でどんな事態を引き起こすのか、この数カ月の間で私は少なからず知ってしまっていたのだ。この仕事は受ける。彼女もきっと喜んで受けてくれる。でも、これがきっと最後になる。今まで通りなんてことは、絶対にありえない。私は打ち合わせの最後にひとことだけ「ちょっと大変かもしれませんよ」と編集者に伝えた。

 仲間のひとりが作った美しい透明なドレスをレンタカーに積み、私たちは千葉の海岸に向かった。まだまだ暑い時期で、到着した砂浜でドレスを着ると、ドレスの内側は汗でできた結露で曇った。彼女はシャッターを手当たり次第切ることもなく、いつものように、なにかを確かめるように慎重にひとつひとつを撮った。出来上がった写真はやはり良い物ばかりで、編集者も彼女に依頼してよかったと言った。問題が起きたのはその後のことだ。出版社との意見の食い違いに頭を悩ませながらも、なんとか表紙の写真が決まった。あとは写真に載せるキャッチコピーとタイトルのデザイン。彼女はたくさんの提案を出した。彼女は表紙全体を自分の作品にすることを望んでいたのだと思う。たしかに打ち合わせでは編集者から「全てお任せします」と言われていたかもしれないのだが、実際全て思い通りにするのはなかなか難しい。その雑誌を買う層の好みも考慮しなければならないし、あまりにハイセンスすぎても手に取りづらくなってしまう。私の書いた本だって、すべてが私の希望通りになることはない。そこは出版社の意見をよく聞くべきだと私は考えているし、それでも譲れない一線さえ守れるなら、十分に満足しようと心がけている。私は、彼女が決してそうは考えないとわかっていた。

 キャッチコピーに関して編集者が私に意見を求め、私は自分が考えたものも、彼女が考えたものも選ばず、編集者が考案したものが良いのではないかと意見を出した。その瞬間、やはり予期していたことが起こってしまった。彼女の書く文章の中で呼ばれる私はその途端に「亜和」から「伊藤さん」に変わり、LINEのトーク画面は彼女からの淡々とした決別の文章で覆われた。私たちの友人関係がついに終わった。あまりに心配していた通りで、私は大して動揺しなかった。このとき私が心配していたのは彼女との友情ではなく、彼女が写真のデータを引き上げてしまわないかということだった。私は本当に彼女の写真が好きだった。彼女よりも、彼女の写真のことが、彼女の撮った自分のことが好きだったのだ。いろいろと彼女のことを考えてこの仕事を受けたように振舞っていたけれど、結局は、彼女に嫌われてでも彼女の写真が欲しかっただけなのだ。商業の世界では全部が思い通りにいかないなんて、少し仕事が増えた途端に偉そうに書いている自分が馬鹿馬鹿しくて、いつのまに自分はこんなに嫌な奴になったのかと、暗くなったスマホの画面に映った自分の顔を憐れむようにしばらく見つめた。

2025.04.01(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香