同日 午後九時三十分

 きたはらかけは、コンビニのレジ台を挟んで店長とにらみ合っていた。夜間はバイトが入ってくれないらしく、翔流は毎度この小太りの店長と対峙することになる。
「毎回、見せないとダメなわけ?」
 ヒップホップ系のダボTシャツにカーゴパンツ姿の翔流は、腰に両手を当てけんしわを寄せ、はすに見上げる最大限のかくのポーズをとった。店長は譲歩の余地のないことを最も端的な言葉で伝えてきた。
「だめ」
 翔流は渋々ポケットからスマホを取り出し、録画した動画が再生されるようにして店長の眼前に突きつけた。
 動画では、酔っ払って上機嫌の父・なおが、翔流と肩を組んでろれつの怪しい口調でまくしたてていた。
『二十歳未満の俺の子供、自慢のこれ、六年生』と、翔流を指さした直紀は満面に笑みを浮かべて続けた。『これが、今から俺のためにお使いにいくので、よろしく!』
 直紀が自撮りしたせいで画面は揺れに揺れていた。
 店長は録画日時を確認し、大きな溜め息とともにレジ台に置かれた大容量の〈たからしようちゆう〉に目を落とした。溜め息をつきたいのはこっちの方だと翔流は思った。
「毎回、これ撮る身になってみろよ。指が入りまくってたり、ほとんどふすましか映ってなかったりで、今日のなんか4テイク目だぜ」
 店長は焼酎のペットボトルに店のテープを貼りながら、意外にも気弱そうに呟いた。
「本当だったらこれだって違法かもしれないんだよ。知りたくないから調べないけどさ」
「まっ、それがお互いのためってやつだな」
 目的を達した翔流は初めてにんまり微笑むと、ペットボトルをエコバッグに入れてコンビニをあとにした。
 住宅街の夜道はしんと静まりかえっていた。
 翔流は家とは逆の方向に歩き出した。早く酒を持って帰っても、父がそのぶんたくさん飲むだけだから、いつも遠回りすることにしている。家を出るとき、父はほかにすることもないので常のごとく紙の朝刊を隅々まで、たぶん五回目になるくらい読み直していたから、帰宅するまでにできれば寝落ちしていてほしい。
 翔流はぶらぶらと住宅街の道を抜けて県道へ出た。乾いた風が街路樹のセイヨウトチノキの葉を揺らしていた。間遠に並んだナトリウム灯がオレンジ色の光をぼんやりと広げている。
 都内への通勤者が大半を占めるこのベッドタウンでは、午後九時を回ると県道を行く車も人通りも絶える。レトロなSF映画のような無人の夜の通りは翔流のお気に入りの場所のひとつだ。
 丈高い街路樹の根方は低木のサザンカで四角く囲まれている。そのサザンカの内側にエコバッグを隠す。そして軽くなった体で、街灯の下に長く伸びた自分の影を跳び踏みしたり、えんけい団扇うちわほども大きなトチの葉を見上げながらグルグル回ってみたり。そうしていると、まるで真夜中にこっそりと子供部屋を抜け出して遊ぶ幸福な子供のような気分になる。カーゴパンツのポケットに両手を入れて、好き勝手なステップを踏んで歩いていた翔流は、はっとして立ち止まった。瞬時に警戒心が頭をもたげた。
 五十メートルほど先、丘からくだってくる坂道が県道に合流する地点に一台の車が停まっていた。来月から丘の上で始まる巨大マンションの建設に備えて、その坂道には通行止めのさくが設けられている。車が停められているのは柵のすぐ脇だった。そして、その車に向かって、二人の男が坂道を右へ左へとよろけながら下りてきていた。よく見ると、オレンジ色のポロシャツの男が、もう一人の灰色の服の男に肩を貸して抱えるようにして歩いている。灰色の方の男はぐったりとして、ほとんど引きずられているような恰好だ。
 二人の男は柵の端をすり抜けると、ポロシャツの方が膝をついてもう一人を歩道に横にならせた。風上からポロシャツの声が聞こえてきた。
「もう大丈夫だ。ちょっと待ってろよ」
 そう言うと、ポロシャツは車をかいじようして後部座席の扉を開けた。もう一人をそこに乗せるべく車内を片付けているようだった。そのとき、歩道に横たわった灰色の男が首を動かした。翔流の姿を認めたのか、ほんの一瞬、手を振ったように見えた。
「さあ、しっかりしろよ」
 ポロシャツが励ますように灰色の男に声をかけて引っ張り上げ、後部座席に乗せた。そしてすぐに自分も運転席に乗り込んで車を発進させた。テイルライトがたちまち小さくなって消えた。
「こんなとこにも酔っ払いか……」
 歩き出そうとして、翔流はふと足を止めた。そして不審な思いで二人の男が下りてきた丘の方に目をやった。
 丘の上に飲み屋なんてないよな……。
 妙だと感じれば、まず探ってみる。それが翔流の流儀だった。
 翔流は丘に続く坂道へと駆け出していた。

2024.11.16(土)