繁森さんのお部屋へ行く。穏やかな顔で、すやすやと眠っていた。

「失礼しますね」

 小さな声で話しかけながら、血圧や熱をはかった。足もとの布団をそっとはぐ。毛糸の靴下に包まれた足が、むくんでぼってりと重い。そっと靴下を脱がせて皮膚を観察する。触ると、指先が少し冷たい。慢性心不全は末梢の血流が悪くなるから、冷えることが多い。あとでクリームを塗ってマッサージをしよう。

 靴下をはかせてから、褥瘡と呼ばれる、いわゆる床ずれをおこさないよう足の下にクッションをはさんで、布団をかけた。

「んん……そういちろうさん?」

 ベッドの上で繁森さんが何か言った。顔をのぞくと、うっすら目を開けている。

「おはようございます。看護師の卯月です」

「ああ、看護師さんでしたか。おはようございます」

「今日、午後からご家族いらっしゃいますからね」

「そうだったわね」

 品のあるご婦人は、ふいに視線を天井に向けた。

「宗一郎さんに会った気がしたのよ。夢を見ていたみたい」

 繁森さんの旦那さんの名前だ。とても仲の良い夫婦だったらしい。もう二十年以上前に他界している。

「ねえ、看護師さん。走馬灯って、本当にあるのかしら」

「走馬灯、ですか?」

「そう。死ぬときになったら、人生を振り返るように走馬灯が見えるっていうじゃないですか。もし、走馬灯があるのなら、宗一郎さんと出会った瞬間のことを絶対に思い出すと思うんです」

 懐かしむような微笑みは、穏やかでやさしい。

「素敵な思い出なんですね」

「ええ。あと、息子が生まれたときのこと。孫が生まれたときのこと。そして、ひ孫が生まれたときのこと。どの子たちも、全員私の宝物だわ……」

 静かに言うと、またすやすやと眠りはじめた。

 私は肩に布団をかけ直し、部屋を出た。

 面談には、繁森さんの息子夫婦とその長男が来ていた。繁森さんが九十八歳なので、息子夫婦は七十代で、孫は四十代。この孫が、桃ちゃんのお父さんだ。息子さんもお孫さんも銀行関係の仕事をしているらしく、しわのないスーツや清潔な髪形から真面目さが滲み出ている。

2024.11.08(金)