「菊代さんの今後のことですが」
短髪の痩せた担当医が、今後予測される経過を説明している。端的に言ってしまえば「あまり長くないけど、最期はどうしますか?」ということを、わかりやすく丁寧に伝えていく。表情の乏しい医者だけれど、言葉の端々からご家族の感情を尊重する姿勢がうかがえて、私は好感をもった。
ご家族は何度か聞いた話だからか、動揺しているようには見えない。真剣な顔をして先生の話を聞いていた。
「母さんは、私たちにとって実に素晴らしい母親です。最期は、なるべく苦しくないように、自然なままお見送りしたいと思っています」
息子さんが、噛み締めるような口調で話す。隣で奥さんはうなずき、孫は膝の上で握った手にぎゅっと力をこめていた。
「では、蘇生措置は何も行わない方針でよろしいですね」
「はい。よろしくお願いします」
担当医が確認し、カルテに記入する。私も、看護記録にそのむね記載した。
「DNARで決定?」
面談を終えてナースステーションに戻ると、香坂師長から声をかけられた。
DNAR。Do Not Attempt Resuscitationの略で、日本語では「蘇生措置拒否」と言われる。終末期医療において心停止状態になったとき、昇圧剤や心臓マッサージ、気管挿管、人工呼吸器の装着など蘇生法をおこなわないことをさす。
「はい。決まりました。看護記録にもあらためて明記しておきます」
「よろしくね……」
香坂さんは何か含みのあるような言い方をした。
「何か?」
「ああ、いえ、ちょっと昔のことを思い出していたの」
自分にとって大事な戒めみたいなものよ、と香坂さんは話し出した。
「私ね、長期療養に来る前は、循環器外科にいたのよ。とてつもなく忙しい科だったから、長期療養に異動になって、なんていうか甘くみていたのよね。当時も、繁森さんみたいなご高齢の患者さんがいらして、最期のお看取りの方針を決めることになったんだけれど、ご家族が全然決められなくてね。私は、長期療養なんだからゆっくり考えればいいでしょって思っていたの。循環器と違って急ぐ科じゃないって」
2024.11.08(金)