「ふうん、なんやそういうことか。それならあたしは遠慮しとくわ」

 トンボは訳知り顔で布団の中に潜り込んだ。どうやら何もかもお見通しのようである。

 帳場の前を通る時、女将のおかあさんとばんばの姿がなくてほっとした。お正月は女紅場も休みなので、誰もがのんびり過ごしていた。

 頭からすっぽりショールをかぶり、勝手口から通りに出ると、陽ざしの眩しさに思わず目を細めた。この時期、空は金沢特有の冬の分厚い雲が垂れこめるが、今朝はまるで新年を祝うかのようにすがすがしく晴れ渡っている。その分気温も下がって雪が凍り付き、油断すると冬下駄でも足を取られそうになった。朱鷺は転ばぬよう気をつけながら、久保市乙剣宮へと急いだ。

 喧噪溢れる夜と違い、通りに人の気配はない。紅殻格子戸も固く閉じられている。しばらく歩くと下駄の歯の間に雪が挟まりダンゴになった。立ち止まって、かんかんと下駄の爪先を雪道に打ち付けて落としておく。

 浅野川大橋まで来たところで、朱鷺はふと足を止めた。

 橋の下で浅野川がさらさらと澄んだ音をたてている。顔を上げると、左手には雪に覆われた卯辰山が朝日に輝き、そのまま上流に目を向けると、梅ノ橋、天神橋、常盤橋と続き、そのずっと先に望まれるのは雪に覆われた医王山だ。

 朱鷺はしばらくその風景に見入った。

 能登の海辺の田舎町から置屋・梅ふくに売られて来たのは七歳の時だった。家族と離れ、知らぬ土地に連れて来られた緊張で、身を硬くするばかりの朱鷺に、女将の時江が口にした言葉が思い出された。

「きれいな川やろう。浅野川っていうが。金沢には金沢城を真ん中に南に犀川、北にこの浅野川が流れとってな、犀川はおとこ川、この浅野川はをんな川と呼ばれとるんや」

 朱鷺は流れに目をやった。

「ふたつの川は一度も相容れぬまま海に流れ着くんが。無常というかせんないというか、まさに男と女そのものややろ……」

 そこでハッとしたかのように、女将は言い繕った。

2024.10.26(土)