三本足の大烏(おおがらす)へと転身した雪哉は、ついさっきまで両腕だった翼を広げ、緩やかに滑空していった。

 眼下には、のどかな田畑が広がっている。

 田植えを直前にした田んぼには既に水が入れられており、吹きわたる風に、鏡のような水面を揺らしていた。

 山に囲まれた盆地であるこの辺りには、郷長一家が居住する山城――役所として郷政を行う屋敷と、郷吏とその家族が生活するための集落が存在している。

 畑の間にはしっかりした家々が並び、穏やかな暮らしぶりを垣間見せていた。

 美しい水田を越えた先、なだらかな山の斜面の一角に、目指す梅林がある。

 そこから、大きな籠を背負って出て来る一団を見つけて、雪哉は「しまった」と心のうちで呟いた。

「遅いよー、坊ちゃん」

「収穫はもう終っちゃったよ」

 彼らの上空までやって来ると、下から、からかい混じりの声を掛けられる。雪哉は地表ぎりぎりで人の姿に戻り、一団の前にすとんと着地した。

「おばさん、ごめん! 何か、二度寝しちゃったみたいで」

「相変わらずだねえ」

「でもまあ、こっちも坊ちゃん達が来る前から、始めちゃっていたからね」

 仕方ないと笑うのは、郷吏の妻や母親、娘達だ。

 彼女達の多くは、普段は山城のふもとにある郷長所有の田畑を耕したり、郷長一家の身の回りの世話などをして暮らしている。

 雪哉はここ、北領が垂氷郷、郷長一族の次男坊であった。一応は彼女らの主家の者に当たるのだが、手伝いが必要な時にはすぐに駆り出されるし、特別扱いはほとんどされてこなかった。彼女達からすれば親戚のようなものなのだろうし、雪哉からしても、それは同じなのである。

「宮仕えから帰って来たら、少しはしっかりするかと思ったんだけど」

「一年ぽっちじゃ、何にも変わらなかったねえ」

「いいさいいさ、のんびりしているのが、坊ちゃんの良いところだもの」

「無理に変わる必要なんかないさね」

 口々に言われた言葉に、雪哉は眉尻を下げた。

2024.07.27(土)