話はそれからだと言って、彼は、困ったように腕の中を見下ろしたのだった。
帰宅した郷長を出迎えたのは、怪我をした郷吏と、縄でがんじがらめにされた鳥形の八咫烏、何故か女達から黄色い悲鳴を浴びる、見慣れない客人の姿であった。
最初は現状を把握出来ずに戸惑っていた郷長も、己の留守の間にあった事を聞いて血の気が引いた。
「頭のおかしい男が、襲って来ただと! 被害はどの程度だ」
「畑を荒らされ、郷吏が一人、怪我を負いました」
「重傷なのか」
「幸い、大した傷ではないようです。頭を打ったのは少し心配ですが、さっき目が覚めて、不覚を取ったと、悔しそうにしていましたよ」
不幸中の幸いです、と笑う長男に、郷長は肩の力を抜いた。
「それは良かった……全く、肝が冷えたぞ」
下手人の身柄は拘束してあるし、ひとまず、緊急の問題はないだろうと気を緩めた時だ。
「いえ。安心するのは、まだ早いですよ」
凜と響いた声は、それまで、囲炉裏端で女達からひたすら酌を受けていた、客人のものである。女達の輪から抜け出して来たその姿を、郷長はまじまじと見つめた。
まだ若い男である。それも、とびきりの美青年だ。
年の頃は、長男の雪馬よりも二つか三つ上くらいだろうか。年の割に、大人びた雰囲気をしている。絹糸のような黒髪はすっきりとうなじでひとまとめにされ、肌は、白磁のように白く透き通っていた。その表情はとぼしく、冷やかなほどに整った造作と相まって、まるで人形のような男だと思う。
だが、線の細さに反して、切れ長の目の奥に、弱いところは全くなかった。身に着けているものは粗末であったが、その立ち居振る舞いには宮烏らしい気品が感じられる。
「お初にお目にかかります、垂氷郷郷長殿。私は墨丸と申します。本日、中央よりやって参りました」
郷長が口を開く前に、周囲にいた女達が、墨丸がいかにして自分達を助けてくれたのかを、熱っぽく、一斉にまくし立てた。
2024.07.27(土)