垂氷は、もともと武人の多い地方である。
そのせいか、中央貴族風の優男は馬鹿にされ、武骨な男らしい男が好まれる風潮があったのだが、顔が美しい上に腕も立つとなれば、また話は違って来るらしい。
郷長自身、内心では「この華奢な若者が!」とにわかには信じがたい気持ちであったが、郷民を助けてくれた事は疑いようもなく、丁重に礼を述べたのだった。
「しかし、安心するのはまだ早いとは、どういった意味ですかな」
問い返せば、墨丸の瞳がきらりと光った気がした。
「その件で、お話をしたくてまかり越しました。街道沿いで噂の件と言えば、お分かり頂けるでしょうか」
思いがけない言葉に、郷長は、はたと墨丸の目を見返した。
「もしや、さっき襲って来た八咫烏は」
「何の理由もなく、おかしくなったわけではないでしょう。僭越とは思いましたが、郷吏達に頼んで、既に身元を調べてもらっています」
一応、雪馬殿にも了解を頂きましたがと続けられ、郷長は目の前の青年への認識を改めた。
「これは失礼した。中央からというのは、朝廷からという意味でしたか」
はいと、墨丸が素直に頷く。
「此度の訪問も、主の命によるものです。つい二月前まで、雪哉殿とは親しくさせて頂いておりました」
「では、貴公の主というのは――」
郷長が驚きのまま口を開こうとしたところで、妻の梓が、やんわりと間に入って来た。
「色々と、積もる話もおありでしょう。どうぞ、夕餉の席にいらして下さい」
そこでようやく郷長も、興味津々にこちらを窺う周囲の様子に気が付いた。こちらにじっと視線を向ける女達と、戸口で鈴なりとなっている子ども達を見て、墨丸も梓の言葉に頷く。
「では、お言葉に甘えまして」
場所を移し、改めて運ばれて来た夕餉の膳には、女達が張りきったせいもあり、ちょっとした御馳走が並んでいた。
山盛りになった、香ばしい若鮎の塩焼き。
出汁のきいた具だくさんの山菜汁からは、香ばしい味噌の香りが、湯気とともに湧き立っている。朴の葉に載せて焼いたつくねの上には、甘辛いタレと半熟の卵黄がトロリとかかって、今にも零れ落ちそうだった。山で採れた山菜を揚げたてんぷらは、さくさくとした金色の衣に、一ふりの塩をかけるくらいでちょうどいい。
2024.07.27(土)