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尾崎英子さんエッセイ『母の旅立ち』前篇
尾崎英子さんエッセイ『母の旅立ち』後篇

作家・尾崎英子さんが、家族で母を看取った最期の日々を綴った初のエッセイ『母の旅立ち』(CEメディアハウス)を上梓しました。尾崎さん自らが、“残された者”として、この経験をシェアすることで誰かの役に立つのではないか、そう思われたことが執筆のきっかけになったそう。
「地球で生きていくための金銭感覚が圧倒的に身についていない人だった」と語られる母・よしこさんの数々のエピソードは、思わず口元が緩み、そして時には涙がこぼれます。
誰もが避けては通れない家族の死。自分だったらどうしたいのか、本書を読みながら考えてみませんか。今回は特別に一部を抜粋してご紹介します。(全2回の1回目/後篇を読む)
「わたし、帰らなくちゃならなくなったわ」
母、よしこの病気がわかったのは、その前の年の十一月だった。
九月のはじめ頃。
母が変な咳をしていた。それが長引いていることに気づいたのは、大阪市内に住んでいて両親の身の回りのあれこれをしてくれていた長女のたつこ姉だった。
受診するよう勧めたが、病院嫌いの母は気が向かない様子だった。だが、次第にひどくなり、父がお世話になっている近所のクリニックに行ったところすぐに基幹病院を紹介され、精密検査をすることになった。
結果が出たのが十一月だった。
その日もたつこ姉は実家にいた。そして、タクシーで病院から帰ってきた両親と会話をしている。先に家に入ってきた父は、ひどく不機嫌な様子で文句を言った。
「おい、たつこ。お前のお母さん、ほんまにアホやで! 治療せえへんって言うんやど。死んでまうで!」
両親が揃ってどこに出かけていたのかも知らなかったたつこ姉は、父が何を怒っているのかさっぱりわからなかった。
ほどなくして、母がいつもと変わらない笑顔で入ってきた。
「ちょっと。お母さん、どうかしたん?」
「たっちゃん、それがねー。わたし、帰らなくちゃならなくなったわ」
「はあ?」
「がんやって、ステージ4やって」
母はそう言った。まるで、ちょっとした秘密を耳打ちするように。
母が亡くなった後、母の病気を振り返るように話した時に、たつこ姉はわたしたち、妹に訊いた。
「最初に聞いた時はあまりにびっくりして、頭が真っ白になったわ。だって、いきなりステージ4やもん。ステージ4の詳細を聞き出すことに必死で、スルーしてしまったけど、あの時に言っていた『帰らなくちゃならなくなった』って、どういうことやったんやろうな? どう思う?」
どう思うと言われても、真相は藪の中。
ただ、それを聞いたわたしたちの脳裏には、同じことが思い浮かんでいた。
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2025.06.07(土)
文=尾崎英子
イラスト=swtiih green