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「すんなり受け入れてしまっていた」気づかなかった自身の特権

ーー特権を持つ人の目の前にあるドアは自動で開くので、ドアの存在に気付かないことすらあるのに、特権を持たない人は自分の力で扉をこじ開けなければならない。そこに構造的な障壁があることを思うと、差別には個人の問題以上に構造的な問題がありますね。一方で、マイノリティでもありマジョリティでもある、という状況もありえます。

 私は男性で異性愛者なので、民族的にはマイノリティですが、性別や性的指向はマジョリティです。それに、アイヌの宗教は男性が主体となって行われるんです。実際の準備のところは女性が関わるのに、一番派手な儀礼のところは男性主体なんです。それも伝統だからと説明されるのを、私もこれまですんなり受け入れてきてしまっていたのですが、それは私の鈍感さというか、特権性のせいなんだと思います。

ーーそもそもマイノリティやマジョリティは多数派みたいに訳されて数の多さで認識されることが多いですが、「意思決定に強い力を持つ」側がマジョリティなんですよね。

 そうですね。一般企業の管理職もそうですが、大学の研究者を募集するときの応募も、女性が少ないことがあるんですよ。今私がいる組織も、正規職員7人中6人は男性です。そこにはそもそも大学進学のハードルが女性にとってまだまだ高い現状を含めた構造の問題がある。そこに鈍感になってはいけないと思います。

ーー医大が一部の男性受験者に加点するなど、女性差別の不正入試も問題になりました。

 マイノリティがなにかに起用されることに対して、優遇政策だと反論するマジョリティがいますが、やはり今まではマジョリティ側が優遇されてきたことに目を向けなければいけないと思います。マイノリティに対する政策は、傾いていたものをならすための取り組みなんだっていうふうに、理解すべきだと思います。

 今、議員の数を各政党で30%女性にしようっていう目標が立てられますね。30%というのは、意思決定のときに一定の影響力を持てる数が3割以上じゃないと効果を持てないから。でもそれも、まだまだ全然達成できないんですよね。

2024.01.24(水)
文=綿貫大介