“飲み歩きの聖地”「立石」。昭和の香り漂うその街並みが、大規模な再開発計画によって変わりつつある。再開発は4.5ヘクタールにもおよび、駅前一帯のほとんどがその対象地域となっている。いくつかの再開発事業が並行して進んでいるため既に工事が始まっている場所もある。京成立石駅北口側の工事は2023年9月に着工された。

 「餃子の店 蘭州」や「鳥房」といった老舗が軒を連ねていた駅北側の立石駅通り商店街には今、工事のための白い仮囲いが並び立つ。そんな殺風景な通りの先で、現在も明かりを灯し続ける逞しい店がある。そのひとつが、こだわりの純米酒やナチュラルワインが楽しめる人気店「ブンカ堂」だ。

 立石で生まれ育ち「街に助けられてきた」というブンカ堂の店主・西村浩志さんにインタビュー。ブンカ堂のこだわり、立石の昔と今、そして未来について語ってもらった。


立石には昔っから昼飲みの文化があったんです

 再開発の影響でその一帯が立ち退きとなってしまった駅北口エリア「呑んべ横丁」の「江戸っ子」、南口エリアで現在も営業を続ける「宇ち多゛(うちだ)」や「ミツワ」など、もつ焼きの名店が多くある街としても知られる立石。ブンカ堂のシンボルである緑色の暖簾には、「宇ち多゛より」の文字が入っている。

 僕が小さい頃、立石には町工場がわりとたくさんあったんです。その町工場の職人さんたちは、夜通し仕事をして、翌日の昼に納品するみたいなルーティーンで仕事をしていて。昼に仕事を終えたあと、安く酔えるってことで焼酎を飲んで、スタミナをつけるためにもつ焼きを食べていた。

 立石のもつ焼き文化や、昼飲み文化の発展には、そういう背景もありますね。コワモテのガタイのいい人が早い時間から赤ら顔になっていたりして。小さいころは親から「あんまり飲み屋のあるところには近付くんじゃない」って言われてました(笑)。

 江戸っ子さんや宇ち多゛さん、ミツワさんは、もちろんそのころからある老舗です。うちの店の暖簾は、小中学校の先輩でもある宇ち多゛の三代目が「暖簾が欲しいなら、作って領収書持ってこい」って、開店祝いに贈ってくれたもの。一見怖い人ですけど、実は気遣いのあるいい人ですね。

 僕は生まれも育ちも立石で、立石から出たことがなくて。飲食の仕事は、学生時代のアルバイトから続けています。実は料理も接客もそんなに好きじゃないんですけど(笑)、サラリーマンになろうとは思わなかった。ただ時の流れに身を任せてここまで来た感じですね。

 最初は中華料理屋さんで働いていて、そのあとはずっと飲み屋さん。中華料理屋さんを辞めて次の職場を探す間は、地元の友達のプレス加工屋さんを手伝っていました。今もそうですけど、ずっと立石って街に助けてもらっています。

2024.01.21(日)
文=石橋果奈
写真=深野未季