この記事の連載

「ある時から、私は、うろうろし始めました」「誰も自分を知らない場所に隠れて、冬眠みたいにして過ごしたい」

 こんなにもずっと、痛みが薄まらず、悲しくて、恋しくて、腹が立って、途方に暮れるのか。

 ある時から、私は、うろうろし始めました。

 どこにいても居心地が悪くて、地元でも東京でも、私の神経はピリピリしていて、誰かといると衝突してしまうんです。ほっといてほしいのに、誰かが「面倒みなきゃ」って近くにいてくれて、それも申し訳ないけど居心地が悪いんです。

 遠くへ行きたい、せめてもうちょっと傷が癒えるまで、誰にもかまわれたくない。

 誰も自分を知らない場所に隠れて、冬眠みたいにして過ごしたいと思っていました。

 ある日、思い立って地方の温泉地に行きました。放っておいてもらえるからです。

 衣食住の面倒を見てもらえて、かつ、誰からも干渉されずにいられる。自分がただの、よそ者になれる場所は当時の私にはマシな環境に思えました。

 さらに温泉に入るとその時だけでも気持ちが楽になりました。温まるのは身体にも心にもきっとよいのですね。泣いても目立たない。人の少ない、少し廃れた温泉地をうろうろと巡っていました。

 三回忌を過ぎた頃、悲しみは少しずつ、静かな悲しみに変わっていきました。

 そうして気持ちが落ちついてくると、今度は、周囲の妹に対する「かわいそうに」という言葉に、無性に腹が立つようになってきたのです。

 彼女の告別式には大勢の友だちが来て、女の子も男の子も泣きじゃくっていました。

 私の妹は友だちが多くて、行きたかった大学に行って、好きなことに熱中して、毎日楽しそうで、それは見事な人生だったんじゃないかって。

 それを、ただ「短かった」ってだけで、かわいそうとしか思わないのは失礼だろう、と考えるようになったんです。

 それからですね。私の生活も少しずつ変わっていきました。

 外に出るようになりました。人と接したいとも思うようになりました。

 もう一度どこかの養成所に入ることも考えました。が、どこも入所時期は過ぎてしまっていたので……、私は、バイクの合宿免許教習に申し込みました。

【後篇】に続く

私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。

定価 1,870円(税込)
文藝春秋
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2023.12.02(土)
著者=後藤邑子