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「火葬場に行って骨を拾う喪主は、私がやりました」

 お葬式の日、棺の中で化粧をほどこされて花に囲まれた妹の顔は綺麗でした。母の弟、叔父さんが式の様子を写真に撮ってくれていました。ご遺体だけは撮影しちゃだめです、と葬儀会社の人に言われたため、母が「描いて」と私にスケッチブックを渡してきました。何をやっているんだろうと思いながら、無心で妹の顔を描きました。

 私は喪服を持っていません。お葬式に参加するのが初めてだったので、洋服の決まりも知りませんでした。何も持たずに帰ってきたので、実家にあった昔の私の服、妹の服、母の服の中から、黒いワンピース、白い半袖のカーディガン、黒い編み上げブーツを選びました。いろいろお葬式のルールに則していない格好だったみたいです。でも洋服なんてなんでもかまわなかった。

 近所の人たちと、妹の友人たちが大勢集まってくれたので、お焼香の時間がとても長くなりました。お経をあげる住職が途中で弟子を呼んで交代して帰ったくらい、長くなりました。

 その後、火葬場に向かいます。この地方だけの慣習でしょうか、子どもが亡くなった時に、親は火葬場に行けません。だから火葬場に行って骨を拾う喪主は、私がやりました。

「こんな火葬場なんかに、ひとりで置いていくわけにはいかない」

 火葬場の炉からは、棺も、当然、飾られていた花も燃え、お骨だけが出てきました。

 若いから、真っ白で、どこも欠けていない、綺麗な標本のような骨でした。

 子どもの火葬場に親が行けないというルールは必要なのかもしれません。今は穏やかに思い出せますが、当時はショックが大きかったです。

 渡された長い大きな箸で、骨を拾って骨壷に入れていきます。自宅に持ち帰り、お墓に入れるための骨です。できるだけたくさん連れ帰ろうと「もうそのくらいで」と係員に止められるまで、私たちは拾いました。

 お骨に彼女はいない。今はそう思っています。でもその時は、いる気がしていました。こんな火葬場なんかに、ひとりで置いていくわけにはいかないと、懸命に拾いました。

2023.12.02(土)
著者=後藤邑子