この記事の連載

神経がむき出しになっているような感覚…「私は弱っちい暴君でした」

 その頃の私は、代アニの西調布寮を出て、東京でひとり暮らしを始めていましたが、喪失感で何も考えられなくなりました。一日中ただ怒って泣くばかり。養成所にも行かなくなりました。放っておけないと思ったのでしょう、代アニ時代の友人たちが代わるがわる私の部屋に来て面倒をみてくれました。

 そんななかでも私は荒れていました。ちょっとしたことが、日々、気に障ります。

 神経が剥き出しになっているような感覚でした。世話をしてくれる友だちのほんのちょっとの不用意な言葉にも泣いて噛みつきました。皆の優しさを当然のように受け取って甘えていたのです。

 知らない人と喧嘩になったことも多かったです。路上でも、どこでも。少しの不快にも耐えられずに「なんでお前みたいなのが生きてるんだ、生きてるべき人間が死んでるのに」と怒りをぶつけました。理不尽で非常識です。その人にだって、その人を大切に思う人がいるだろうに。

 自分の態度はおかしいと自分でも思いながら、止められませんでした。毎日、泣いてるか、怒ってる。

 当時、私の面倒をみてくれた友人たちは今でも「あの時の私らは天使だったぞ」と言います。事実そうだったんでしょう。思い出せる範囲でも、私は弱っちい暴君でした。

ただ、ただ、悲しい時間。家族とさえ、一緒にいる方がつらい

 引きこもり状態になっていった私も、法事で愛知の実家に戻ることはありました。

 でも、本当に悲しい時って、痛みも分かち合えないのです。妹の話をしても、少しでもお互いの記憶がズレているだけで喧嘩になってしまう。小さなどうでもいい要素でも、それは大事な人の人生の一部だから譲れないし、相手の間違いを正さずにはいられない。そうお互いが思っているから、どこも折り合えず、討論は終わらず、最後はどちらも泣き叫んで収集がつかなくなりました。一緒にいるほうがつらい。

 鬱々と、どうしたらいいのかわからないまま、時間が過ぎていきました。

2023.12.02(土)
著者=後藤邑子