花より実をとった気配りの天才
城山 私は、関白藤原道長というのは完全にナンバー1(ワン)型の人間だと思っていたのですよ。「此の世をばわが世とぞ思ふ……」などと歌い、栄耀栄華を尽していますしね。ところが永井さんの本(『この世をば』)を読みましたら、彼は初めからナンバー1志向ではないんですね。
ナンバー1になる人はもう決まっているし、自分もそんなことは考えてもいなかったのだが、上の人間が亡くなったり、はずれたりして次第に自分の地位が上ってくる。それに応じて自覚も出てきた。つまり、ナンバー2(ツー)の人間がナンバー1になっていくんですね。案外、こういうことは珍しいことではなかったのではないかという気もするんですよ。
永井 そうですね。道長は五男でしたから、当時の常識では絶対に関白とか権力の座はめぐってくる気遣いはなかった。せいぜい、よくて並び大名というか、閣僚級に入ればいいぐらいの気持だったのですね。それが、父が早く死に、兄も次から次へと死んで、思いがけなく自分にその番が回ってきた。もちろん力量もあったわけですが、そういうところから上った人でなければわからない人情の機微のようなものを知っているんですよ。兄の道隆とは非常に対照的ですね。
道隆は長男ですから、次の関白は自分だという気持できています。自信もあるし、わりと冷酷なところがある。自分の悪口をいった男をうまく窓際族に仕立てちゃうのね。これがなかなかうまいんですよ。彼をどんどん出世させる代り、取締役ではあっても部下のないポストにつける。周囲の人は彼を出世させるのを見て、道隆はなかなか度量があると思ったりする。しかし、やられる方は海千山千ですから、道隆の狙いをよく知っている。そこで周りの人にどうか俺を出世させないでくれと頼んでまわるんだけど、とうとう出世させられちゃう(笑)。
城山 なるほどね。
永井 道長はそれを見てきていますからね。そのようなとき、人はどういう気持であるかを考える。いやな言葉だけど、この人の気配りは平安朝随一ですね。それがやっぱり、“2”にもなれなかった人が“2”になり、ナンバー1になってきた味というか、そんな感じがしますね。
2023.08.30(水)