機関兵の死の真相は、無残で悲しいものだった。それを突きとめたあと、自分のしたことは果たして正しかったのかと橋爪は自問する。

 一人の海軍機関兵の死因を探るため調査をしたが、それは結果的に遺族の悲しみをいやすどころか、新たな苦痛をあたえている。三十数年の歳月をへてようやく得られた一人の水兵の死の安らぎを、かき乱してしまったような罪の意識に似たものを感じていた。

 多大な労力をかけて事実を発掘したあとで、眠らせておいたほうがよい事実もあるのではないかという気持ちになったことが、吉村氏にもあったにちがいない。遺族がかかわってくる戦争取材となるとなおさら、知ることが新たな苦しみとなる場合がある。

「あとがき」に「実際に私が経験したことで、いわば私小説の部類に入ると言っていい」とある「飛行機雲」という作品の底にも、事実をあばくことが人を傷つけることがあるという自覚と、書くことへの罪悪感が流れている。

 ここにも遺族が登場する。夫の戦死を信じきれないまま戦後の二十六年間を生きてきた妻は、突然の電話に、「君塚は生きていたんですね、どこに生きていたんですか?」と声を上げる。「帰艦セズ」の老母と同じ反応である。吉村氏自身であると思われる小説家は、自分の調査結果が夫人の生きる支えを突きくずしたと思い、「未知の人に一つの大きな罪をおかした」と感じるのだ。

 君塚というその軍人の死は、特殊情報班の中国人密偵の報告書によれば、斬首され、水田に遺棄されたというむごいものだった。それを作品の中に書けば、読んだ夫人は衝撃を受けるだろうと思い、小説家は逡巡する。

 この作品には、書くべきか否かという迷いが直截に語られている部分がある。

 私は、長い間ためらった。書くべきではないという思いと、戦争の実態を記すには勇気を持つべきで、君塚少佐もそれを望んでいるという思いが交叉した。後者の気持が私の背を押し、密偵の報告を書いた。

2023.08.18(金)
文=梯 久美子(ノンフィクション作家)