だがこれは小説的効果を狙ったわけではない。さきほど紹介した吉村氏の随筆「一人で歩く」には、『戦艦武蔵』の取材で長崎の船具を扱う店の店主を訪れた際、アタッシェケースを手にしていたためにセールスマンに間違えられて「間に合ってるよ」と追い払われた話が出てくる。「帰艦セズ」の小説家は、やはり自分自身の姿なのだ。

 橋爪の家に上がった小説家は、突然電話をかけた無礼を詫びると、おもむろにテープレコーダーをテーブルの上に置いてノートをひろげる。子息が書いておられるように、テープレコーダーを回すのも吉村氏自身のスタイルである。

 自分自身を登場人物の一人として、主人公である橋爪の視点から描いたこの作品は、吉村氏がどのようにして取材を進めていくかがわかる点でとても興味深い。

 作中の小説家は、翌日、再びやってきて話を聞いたあとで、橋爪に向かってこう言う。

「あなたがお話しして下さったことを基礎に、小説を書かせていただくかも知れませんが、よろしいでしょうか。もしも御迷惑でしたら書きません」

 この小説家は、最初に電話をかけたときにも、迷惑ならば二度と電話をしないと告げている。おそらくこれは、話を聞かせてもらった相手に、吉村氏が実際に言っていたことだったのだろう。ここからわかるのは、吉村氏が「書く」ということの暴力性を認識していたことである。

 隠されていた史実を徹底した調査によって世に出す行為が、意義のあることであるのは言うまでもない。だが、事実というものは、ときに関係する人々の平安を破り、人間関係を損ない、心を傷つける。それでもなお、書くことが許されるのか。吉村氏の中には、絶えずその問いがあった。

 元逃亡兵に話を聞きに行った話は、長編『逃亡』の冒頭にも出てくる。こちらは、小説家である「私」、つまり吉村氏側の視点から描かれる。そこで、最初に電話をしたときのことは、次のように書かれている。

 私は、かれが受話器を手に立ちつくしている姿を想像した。

2023.08.18(金)
文=梯 久美子(ノンフィクション作家)