離婚すると私に言えなかったパパ
――猪木さんが寛子さんに電話をかけるようになったのは、何か変化があったからでしょうか。
パパとママの離婚はあったと思います。離婚したのは1987年、私が12歳、13歳くらいでした。私はもともと都内のインターナショナルスクールに通っていて、途中、小学校6年生くらいでASIJというアメリカンスクールに編入していました。
そのとき、私はYMCAか何かのサマーキャンプに行っていて。パパがいきなりキャンプ場を訪ねて来たんです。
本当は離婚することを私に伝えに来たんだけど、言えなかったそうなんです。結局、他愛もない話をして帰っていって……。パパはそのあともキャンプ場にあった池か湖の向こう岸からずっと私を見ていたんだと、ずっとあとになって聞きました。
それからは私のことも気にかけるように、少しずつ変わっていったように思います。
――離婚することを伝えようとして伝えられなかった。そういう猪木さんの思いを大人になって知ったとき、見方は変わりましたか?
パパは、すごく強く見えて、すごく気が弱いところがある。きちんと自分の言葉で伝えないといけないと思っているけど、離婚することを伝えたら私がどう思うだろうと悩んでしまったんだと思うんです。人を傷つけられないんですね。
――誕生日に連絡をくれること以外で、離婚したことで何か変化はありましたか?
離れて暮らすようにはなりましたけど、もともと家にずっといるわけではなかったし、実は変化はあまりありませんでした。パパとママも、普通に行き来はしていましたし、パパに会えないということもなかったので。
2023.04.03(月)
文=児玉也一
写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)