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 吉山シャール ルイ・アンドレさんは、テキサス州ヒューストンに拠点を置くアメリカ屈指のバレエ団「ヒューストン・バレエ」のプリンシパル(最高位ダンサー)。

 今回、彼の念願でもあったヒューストン・バレエの初来日公演が2022年10月29日(土)と30日(日)の2日間にわたって東京文化会館で実現することとなり、『白鳥の湖』の全幕を上演。

 吉山シャール ルイさんのバレエダンサー人生をご紹介するとともに、彼が在籍して15年になるヒューストン・バレエの魅力をお伝えします。

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生きる道となった“バレエ”との出会い

 フランス人の父と日本人の母から生まれた吉山シャール ルイ・アンドレさん。日本で生まれ育ち、15歳からのイギリス留学を経て、バレエダンサーとして世界へ羽ばたいた。

 小顔で手足が長く、バレエダンサーを目指すのに申し分ないスタイルの彼が、どのようにしてバレエと出会ったのだろうか。

 「僕が生後3カ月の時に、母が友人との会話で“生まれてくる子どもに将来何をさせるか”という話になったとき、母が“歌舞伎俳優になってほしい”といったら、彼女から“そんな世界に入れるわけがない”と否定されたそうなんです(笑)。

 それで母はあっさり諦めたんですが、彼女が”娘にはバレエを習わせる“と話したその言葉に影響を受けて、僕にバレエを習わせようと決めたそうです。

 そして、保育園の頃にバレエのクラスを見学しに連れて行かれたんですが、そこにいたのはピンク色の稽古着を着た女の子ばかりで男の子は一人もいませんでした。その光景を見た僕はすっかり嫌になって”入りたくない“と最初は断りました。

 ところが、初夏にそのバレエスクールの発表会があって、またそれを観に連れて行かれました。そのとき、1人だけ出演していた男の子に僕は魅せられてしまい、”彼みたいになりたい“と言って、5歳の頃からバレエのレッスンを始めることになりました」

プロを目指すために選んだ海外留学という選択

 8歳年上の先輩の姿に惹かれ、歩み始めたバレエの道。中学生時代は部活でサッカーにも興味があったが、母親のサポートも得てバレエに真剣に取り組むようになる。そのとき、アメリカのサマースクールに通うというチャンスが巡ってきた。

 「中学1年生の夏に、ボストンにあるウォルナット・ヒル・スクール・オブ・ジ・アーツという芸術学校のサマーセミナーに参加させてもらいました。この学校を選んだのは、僕がバレエを始めるきっかけを作ってくれた憧れの先輩が通ったと伺ったからです。

 実際にレッスンを受けてみて、自ずとバレエに集中できるようになり、バレエに取り組む姿勢も変わりました。“海外に出たい”という思いも強くなり、サッカーでは無理だったけれど、バレエなら海外に行けるかもしれないと考えるようになりました。

 そして、中学校卒業と同時にイギリスへと旅立ちます。先方からのお誘いもあって2005年4月にイングリッシュ・ナショナル・バレエ・スクールに入学しました。

 イギリスは有名なダンサーや振付師を輩出している国なので、才能ある方もたくさんいらっしゃいます。そういう方から実際に教わる機会もありましたし、英国ロイヤル・バレエのリハーサルを見学したり、サドラーズ・ウェルズという劇場でコンテンポラリーの作品を観たり、いろんないいものを観ることができて、目も肥えた気がします。

 スクールではバレエの歴史や振付についてのレクチャーだけでなく、怪我をしたときにどう治すか、あるいはどういう鍛え方をしたら怪我をしにくくなるかなど、解剖学なども交えながら、筋肉など身体の構造についても教わりました。僕にとってイギリスへの留学はプロのダンサーになるために知識を学ぶ場所でしたね」

2022.10.27(木)
文=山下シオン
撮影=岡積千可