感動の実話を映画化した『義足のボクサー GENSAN PUNCH』で主役を務める尚玄。日本人離れしたルックスで、モデルから俳優に転身。海外でも活動する彼が、企画・プロデュースも務めた主演最新作について、熱く語ってくれた。
●旅好きになった意外な理由
――幼い頃の夢は?
両親が映画好きだったこともあり、幼い頃からいろんな映画を観ていました。なかでも、『グーニーズ』や『スタンド・バイ・ミー』といった冒険映画が好きで、そのうちに俳優に憧れを持つようになりました。ただ、僕の性格上、その夢を両親や友人に言うことはありませんでした(笑)。
――その後、亜細亜大学在学中から、バックパックで世界50カ国以上を旅されたそうですね?
父親が学生時代に無銭旅行をしていた人で、僕も小学5年生のときから毎年夏休みは、半ば強制的に一人旅をさせられていたんです。たとえば、『坊ちゃん』の松山や『二十四の瞳』の小豆島といったテーマを与えられ、父親とは現地などで合流していました。そういった経験もあり、旅に出ることが好きになったんです。最初は友人でもある丸山智己と一緒に、タイとマレーシアとミャンマーを回りました。
――その頃、モデルとして活動をされますが、そのきっかけは?
18歳のときに、キャスティング・ディレクターの方の紹介でモデル事務所に入りました。沖縄にいたときからファッションが好きでしたし、母親も元々モデルをしていたことも大きかったかもしれません。それで雑誌をメインに、いろんなお仕事をさせていただきました。
●華々しい映画デビューから新たな旅へ
――その後、ヨーロッパなどでも活動し、2004年に25歳で帰国。俳優としての活動を開始されます。
帰国したときに、『義足のボクサー GENSAN PUNCH』のプロデューサーでもある山下(貴裕)さんと出会ったことで、本格的に俳優を志そうと思いました。それで山下さんプロデュースで、沖縄の三線弾きを演じた『ハブと拳骨』(05年)でデビューしましたが、初めての本格的な映像作品での主演。また、東京国際映画祭にも出品されるなど、とてもラッキーなスタートでした。ただ、モデルのときは日本人離れしたルックスのおかげで、いろんなお仕事をいただけましたが、俳優ではそれが足枷になり、外国人役か悪役ばかりという順風満帆とはいえない状況になっていきました。
――その後、08年には本格的に芝居を学ぶため、NYに渡米されます。
『ハブと拳骨』がNYの映画祭に招待されたときに、アクティングコーチのボビー中西さんと知り合い、そのときハーヴェイ・カイテルが進行していたアクターズ・スタジオに見学に行ったんです。そのスゴさに衝撃を受けたこともあり、日本を離れて、本格的に芝居を学ぶことを決意しました。NYには1年ほどいて、その後はLAに行き、芝居を学びながら、いろんな作品のオーディションを受けていました。そして、アメリカの作品だけじゃなく、イギリスの作品やマレーシアの連続ドラマにも出演しました。
――久々の主演映画となる『義足のボクサー GENSAN PUNCH』の製作経緯について教えてください。
LAから帰国したぐらい、もう10年以上前になるんですが、この映画のモデルである土山直純くんと出会いました。その後、親交を深めるうちに、彼の物語を映画化したいと強く思うようになり、山下プロデューサーにお話ししました。フィリピンに渡った日本人ボクサーの話なので、最初は英語で演出ができる日本人の監督を探していましたが、それだとなかなか難しくて……。それなら、僕たちが一緒にやりたい海外の監督にアプローチしようということになりました。
2022.06.10(金)
文=くれい響
撮影=平松市聖