18代目中村勘三郎にその才を見出され、一般家庭から歌舞伎俳優となった中村鶴松さん。3回にわたるインタビューの最終回です。
受験に専念していた空白の時間
鶴松さんが18代目中村勘三郎に「うちの子になってくれ」と言われて部屋子になってから、今年で15年の月日が経ちました。10歳だった少年は、25歳となり、中村屋一門で歌舞伎俳優として活躍しています。
とても残念なことに、父親のように接してくれた師匠・18代目中村勘三郎は2012年12月に逝去されました。自身を歌舞伎の世界へと導いてくれた人物を失ったときのことをどのように感じているのでしょうか?
「勘三郎さんが亡くなったとき、僕は高校3年生で、大学受験の真っ只中にいました。学業を優先していたので、舞台には年に1度か2度出させていただく程度で、お声がけいただいてもお断りさせていただくことも多々ありました。
今思えば、もっと舞台に出て、教わっておくべきだったと、すごく後悔しています。
ちょうど平成中村座が浅草でロングラン公演を上演していたときでしたが、ほとんど出演していないのでお話しする機会も少なかったと思います。
入院された後に奥様から電話をいただいたのですが、お見舞いにうかがったときはすでにお話しすることもできませんでした。それほどひどい病状だったとは全く知らなかったので、奥さまと一緒にベランダで号泣しながらお話ししたことを覚えています。
当時のことは、ほとんど記憶がなくて、まるで空白の時間を過ごしたような感じですが、勘三郎さんの最期を看取ることができたのは、良かったのだと思っています。
今、生きていたらどういうことを言ってくださるんだろうと常に意識していますが、型よりも心を大切にされていたことは自分の胸に深く刻んでいます」
2020.07.24(金)
文=山下シオン
撮影=佐藤亘
スタイリング=木村厚志
ヘア&メイク=AKANE
衣装クレジット=ブルゾン62,000円、Tシャツ8,500円、パンツ42,000円/Y's BANG ON!(ワイズ プレスルーム)