中学卒業後、一般家庭から歌舞伎の世界へ。
ここでは、映画『国宝』の主人公さながらの半生を送ってきた女方役者・河合雪之丞さんの著書『血と芸 非世襲・女方役者の覚悟』(かざひの文庫)を一部抜粋してお届けします。
大ヒット映画『国宝』を観た雪之丞さんの感想は?(全2回の2回目/最初から読む)
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『国宝』がこれほどヒットしている理由も、血のない人間だけでなく、御曹司に生まれた人間の苦悩も描かれていることにあると思います。巷では歌舞伎の嫌な部分も映っているからこそ、これまでになかった作品とも言われているようです。もっと言うと、リアルだから嫌な部分があるのではないかということ。さらにその嫌な部分を追求すると、私のような名題下あがりが思う嫌な部分と、御曹司の感じる嫌な部分、両方があの映画には描かれている、そこが優れているのではないでしょうか。
『国宝』は「血」をテーマにしていて、血筋、つまり梨園の中にいる俊坊と、門閥外ながら人間国宝に上りつめる喜久雄の話です。歌舞伎の映画やドラマというと、たいてい血筋の人とそうでない人がいて、血筋の人はなんでも持っていて、後者は持っていない。でも、御曹司が油断している隙に悩み多き門閥外が正当に努力して成り上がる、みたいな話はあったような気がします。そういう筋立てにもっていきがちなところ、御曹司の苦悩がちゃんと描かれていました。
喜久雄が俊坊の血を飲みたいというシーンに思うこと
世間的には、血のない人間が不遇で、血のある人間が優遇されるのが歌舞伎界というふうにとらわれがちではあるのですが、現実的には、血のある人たちも大変で、もしかすると彼らのほうが辛いのではないかとさえ思います。
想像もつかないような責任を背負って生まれてきて、決して生活や進路の決定は自由とは言えない。本人もそうですし、親の立場としても、3つか4つの子供に「お前は歌舞伎を今後一生やっていきたいか」っていう判断をさせなければならないのです。将来をもうそこで決めさせるか、もしくは聞きもせずに、そのままやらせるかに分かれますけど。
歌舞伎を好きか嫌いかによっても話は変わってきますが、もし嫌いだったら大変です。だからそんな年端もいかない子供に、この先の人生を左右する判断をさせなければいけないことは、親にとっても子供にとっても、かなり酷ともいえるかもしれません。それに、やるという意思確認をして舞台を踏んだとしても、今後はご先祖の名前に傷をつけちゃいけないとか、そういうしがらみのある生活がまた始まるわけです。子供の頃は、友達と遊ぶのも我慢して辛い稽古に時間を割かなくてはいけないし。だからその血縁に生まれたら、もう後は幸せな人生です。と、いうわけでもないと思うんです。
映画の印象的なシーンで、喜久雄が俊坊の血を飲みたいというシーンがありましたけど、私は名題下の役者がみんな、御曹司の血を飲んで安心したいと思わないのでは、と考えてしまいました。家に脈々と受け継がれている芸を傷つけたらいけないとか、ご先祖さまの顔に泥を塗っちゃいけないと思いながら、役者を続けるのは非常に責任が重い。それこそお父さんは役者でも、お子さんが「僕は歌舞伎役者にはなりません」と宣言して、サラリーマンになる人もいるわけです。初舞台を踏んでも、その道に進まない方もいます。つまり、歌舞伎役者が全員、梨園に生まれることを望んではいないし、順風満帆でもないという話です。










