『吾輩は猫である』にも登場
空也餅は絶品

 あと、やっぱり作家という仕事柄、空也双紙は特別です。もともと餡がおいしいのがわかっている上に、本のモチーフときては、好きにならずにいられません。どら焼きとワッフルの中間のような優しい生地に、粒の感じられる餡。ふわりもくもくとした食べごたえは、もう絶対に夕方の味方。疲れておなかが空いて、でも晩ごはんにはまだ時間があるというときにこれを出されたら、私はその人を好きになってしまうでしょう。あるいは朝ごはんがわりにミルクティーとともに供されたら、もう一緒に暮らしたい。

 作家といえば、空也は歴史のあるお店だけあって、さまざまな文学作品に登場します。中でも有名なのは夏目漱石の『吾輩は猫である』における、苦沙弥先生宅で出される空也餅ではないでしょうか。

 このお菓子は基本的に十一月と、一月中旬から二月中旬までの期間限定品です。なのでこれまで食べたことがなかったのですが、先日初めて口にして驚きました。餡の印象が、まるきり違うのです。まず色。最中がつややかな漆黒なのにくらべ、こちらはパステルトーンの薄紫。次に口当たり。小豆の皮は入っているものの粒の見えない餡は最中よりもさらりとしていて、御膳汁粉のようななめらかさがあります。

 そして餅。これがもう、ほんとうに柔らかくてふわふわとした感触で素敵です。お米の形も残してあるので、つぶつぶ感も楽しめます。さらにサイズも小ぶりで、子どもの私でなくても二つ三つは余裕でいけます。

 そしてなぜか不思議なことに、私は空也餅を食べると“春”を感じます。餡のやさしいすみれ色や、春の暖まった土を思わせる、米粒が残りつつもふわふわとした餅。そういったものが来たるべき季節を連想させるのでしょうか。冬のお菓子なのに。

 ところで手前味噌で恐縮ですが、空也に関して子どものころの私は正しかったな、と思ったことがひとつあります。それは空也のお菓子を「手づくりっぽい」と感じたことです。なぜなら、こちらのお菓子はほんとうに手づくりだから。

 お店を見ればわかるのですが、空也の商売はとにかくシンプルです。その日につくったものを、その日のうちに売り切る。保存料を使っていないお菓子は生もので、だからこそ食べ切る前提で個包装もせず、余計な飾りも入れない。そしていつも売り切れなのは、人の手でつくる数に限界があるから。空也のお菓子には、いまどき珍しいほどに工場が介在しないのです。

 包装についてもう一つ。最中がそのまま入っているのはともかく、空也は上生菓子も『そのまま』紙の箱に入れてくれます。私はそれがうれしくて、家でしばらくその景色を眺めたりします。近年はやりの四角いプラスチックケースが、あまり好きではないからです。あれはお菓子を運ぶときに保護するケースとしては完璧ですが、お菓子をおいしく見せるという点において劣っています。さらにプラスチックは呼吸しないので、お菓子の湿度管理がうまくできません。そんな中、空也の上生菓子は紙箱の中で静かに呼吸をしています。

 なので空也のお菓子を持っている日は、自然と早足になります。

「すぐに食べるからね」

 だれにいうでもなくつぶやく私は、まるで踊りながら念仏を唱える一人の僧侶です。けれどそのすべては、御仏ではなく御菓子のために。

坂木司(さかき つかさ)

1969年東京都生まれ。2002年『青空の卵』で《覆面作家》としてデビュー。同作に続く『仔羊の巣』『動物園の鳥』が「ひきこもり探偵」シリーズとして人気を博す。日常の謎系ミステリのみならず青春小説の書き手としても注目を集める。13年『和菓子のアン』で第2回静岡書店大賞・映像化したい文庫部門大賞を受賞。著書に『シンデレラ・ティース』『ワーキング・ホリデー』『ホテルジューシー』『夜の光』『短劇』『大きな音が聞こえるか』『僕と先生』『何が困るかって』『アンと青春』『女子的生活』など。

『おやつが好き』

『和菓子のアン』の著者の初エッセイ集は、やっぱりお菓子! 食べることはいつも幸せで、でも中でもいちばんわくわくするのはおやつの時間。なぜならおやつは気楽だから。しょっぱくても甘くてもいい、量も食べる場所も自由自在。「三度の食事」というくびきから解き放たれた自由な食は、大げさに言うなら人生の娯楽!おやつをこよなく愛する著者が、銀座の座の名店から量販店のスナック菓子まで美味しく語り尽くす。お菓子にまつわる小説も収録。
著・坂木司
本体1,250円+税
文藝春秋

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小説家・坂木司の愛する
「空也」と「ウエスト」

2019.04.06(土)
文=坂木 司
写真=鈴木七絵