国内外で画期的な宿泊事業を展開し、世界の注目を浴びる星野リゾートが、2016年7月20日(水)、待望の「星のや東京」をオープンした。場所は東京の中枢である大手町。ここに立つ地下2階、地上17階となる独立型ビルに、日本旅館ならではの魅力を結晶させている。

 近年、東京では外資系の進出や老舗のリニューアルなど、ホテルシーンが活気づく。そのなかにあって、あえて「旅館」を打ち出す意義を、総支配人・菊池昌枝さんにうかがった。

星のや東京が創造する「もう一つの日本」

左:星のや東京の外観。建物を覆う麻の葉の柄は微細で、近づくほどに形を現す。
右:スタッフ用の半纏をさっそうと着こなす菊池総支配人。エントランスにて。

 星のや東京の玄関に現れた菊池さんは、淡い色合いの着物に“星のや”の紋が入った半纏を羽織り、凛として温かな「女将」の風情さえ漂わせる。総支配人の話は時をさかのぼり、星野リゾートの原点である軽井沢から始まった。

「星のや軽井沢」は2005年にオープン。水辺の庭園をぐるりと囲むように、それぞれが独立した離れ形式の客室を配する。

「星野リゾートが最初の旅館を軽井沢に開業して、今年で102年目に入りました。軽井沢は外国人が多く訪れる避暑地として、欧米の雰囲気があった土地なんですね。そこで星野佳路が代表となった頃、今後、日本の宿泊の形態がどうなっていくのか、と考えていたそうです。そして思いついたのが『もう一つの日本』でした。もし、日本が捨てなくてもいいい“日本らしさ”を捨てずに近代化していたら……という空想なのですが」

 革新的な「もう一つの日本」という発想は、2005年、進化する日本旅館「星のや軽井沢」の誕生へと繋がる。その後、京都、竹富島、富士、と続く星のやの系譜を、最新の東京も受け継ぐことに。

星のや軽井沢で象徴的なフロント・カウンターが東京にも。

 星野リゾートでのキャリアを軽井沢からスタートした菊池さんも、東京に至る現在まで、「もう一つの日本」の実現に取り組んできた。立ち上げから携わり、総支配人を務めた「星のや京都」では、チームと共に力をつくして、100年前に建てられた数寄屋づくりの屋敷を雅やかに蘇らせている。東京ではオフィス街の中心に、天然温泉を秘めるオーセンティックな日本旅館を出現させた。

玄関扉の向こうには天井高約6mという壮大なスペース。壁面の下駄箱は旅館の象徴。
各階に設けられる「お茶の間ラウンジ」は、旅館ならではのセミプライベートな空間。

「東京のコンセプトは『塔の日本旅館』です。ここではひとつの階が6室を1個とする小さな旅館として完結していて、それが縦に14個、積み重なっている。これまで4つの星のやを手掛けてきた建築家の東利恵さんが、ここもデザインしてくださいました」

 林立するビルの谷間に現れた塔の日本旅館は、名工の手仕事が冴える庭を広げ、江戸小紋をモチーフとした麻の文様に包まれる。日の傾きにつれて変わる表情も趣深い。その風景は懐かしくも、新鮮。ここには未知の日本が待ち受けているようだ。

客室「菊」。日射しにより、枕元の障子に建物を覆う麻の葉の文様が浮かび上がる。

2016.07.27(水)
文=上保雅美
撮影=佐藤亘