数多くの映画やドラマで名バイプレイヤーとして活躍するほか、主演も務めるムロツヨシ。最新出演映画『ヒメアノ~ル』の公開も控える彼が、芝居に対する熱い想いやどん底から這い上がってきた過去を振り返る第1回。

芸名は単なる思いつき?

――まずは芸名について教えてください。

 本名は非公表ですけれど、画数が多くて見にくいことや、家庭環境の諸事情でカタカナにしただけなんです。つまり単なる思いつきで、ムロツヨシ。どこまでが苗字で、どこまでが名前というのもないんです。その頃、カタカナの芸名はあまりいなかったのですが、その直後に渋谷の街を歩いていたら、スガシカオさんの看板があって、「あ、カブったな」と思いました(笑)。とはいえ、今ではいろんな方に覚えてもらえますし、5文字にしてよかったですね。

――高校時代にハンドボールをされていたそうですが、幼い頃の夢は何だったのでしょうか?

 横浜出身なので、横浜大洋ホエールズのファンだったこともあり、最初の夢はプロ野球選手です。田代富雄選手からポンセ、パチョレック選手。あとは、高木豊、加藤博一、屋鋪要選手のスーパーカートリオの世代ですかね。それで小3ぐらいからリトルリーグに入ったんですが、その後、小4から入ってきた幼馴染が、自分より遥かに上手くて、才能のなさに気づかされました。彼はその後、甲子園に行き、僕はその応援に行きました(笑)。中学では、楽そうなバドミントン部に入り、高校ではレギュラーになれると聞いてハンドボール部に入った感じです。運動神経としては、すべて平均点。だいたい65点ぐらいですね。

2016.05.27(金)
文=くれい響
撮影=佐藤 亘