江戸時代を代表する俳人・小林一茶の半生をたどりながら、推理劇の要素を含んだ井上ひさし作の舞台「小林一茶」。これまでの一茶像を裏切るキャラを演じるのが、2013年の朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」の泉源太役で一躍注目を浴びた和田正人。俳優集団D-BOYSの最年長メンバーでもある彼が、箱根駅伝にも出場した陸上選手から俳優へと転身した10年を振り返る。
箱根駅伝出場から実業団へ。そして廃部
――中学時代、ソフトボール部から駅伝の道に進んだ和田さんですが、もともと走ることが好きだったのですか。そして、なぜ野球ではなく、ソフトボールだったのでしょうか。
僕が通っていた中学校に、野球部がなかったんです。僕の地元の高知県はソフトボールが強い県ということもあったんですが、ソフトボール部はあって。ソフトボールをやりながら、それぞれの部から集まってできている駅伝部も掛け持ちすることになりました。走ることが特に好きだったということでもなかったのですが、成績がよくなると僕自身も俄然やる気も出てきて、高校では推薦をもらって大学へ進み、本格的に駅伝の道に進むことにしました。
――その後、日本大学にも進学され、2年生(00年)と4年生(02年)のときには、箱根駅伝にも出場されますよね。
高校時代の目標は、チームとしては全国高校駅伝に出場すること、個人としてはインターハイに出場することでした。でも、高校駅伝には出場することができたのですが、インターハイには届かなかった。全国区の選手にはなれなかったのですが、縁あって日本大学に進学することができ、そこからは箱根駅伝に出場することが目標になりました。箱根駅伝に出場することが決まると、今度はそこで区間賞を取りたいと思うようになり、次々に選手として新たな目標ができていきました。
――大学卒業後は実業団の社会人選手となりますが、入社して2年目の03年、陸上部は廃部になってしまいました。そのときの心境を教えてください。
社会人選手という道を選んだのは、陸上競技というものをまだまだ探求していきたかったという気持ちが強かったのと、もっともっと自分を鍛えたい、強くなりたいという気持ちがありました。そのときは実際口に出すことはなかったですけれど、選手としての延長線上には日の丸を背負って走りたい、という想いもありました。でも、選手としての限界も見据えるころも増えてきて、そんななか廃部が決定になりました。
2015.03.20(金)
文=くれい響
撮影=中井菜央