ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ「おんな友達との会話」。
3人目のゲストは、昭和・平成・令和を貫き、音楽評論家として第一線で活躍を続ける湯川れい子さん。昨年、BABYMETALをめぐるX(旧ツイッター)への投稿で話題を呼んだ湯川・近田の両名は、実は半世紀以上も前から縁のある仲であった。
2人の出会いは1972年の春!
近田 湯川さんとは知り合ってからかなり長いんですけど、こうやって膝を突き合わせてじっくり話すのって、初めての機会なんじゃないかなあ?
湯川 最初にお会いしたのって、確か、パイオニア主催のフィルムコンサートの時ですよね。あれはもう、何年前になるのかしら。
近田 1972年の春だったから、54年も昔のことですね。
湯川 私も、今年で90歳になりましたからね。お互い、年を取りましたよ(笑)。
近田 あのイベントは、パイオニアの商品の販促として組まれた全国巡業でした。第1部はロックバンドの生演奏で、第2部は湯川さんが解説を行うフィルムコンサート。そこで、僕らが当時組んでいた「ゴジラ」というバンドが第1部を任されていたんですよね。ちなみに、このトリオでヴォーカルとギターを担当していたのが、有名なジャズシンガー、ヘレン・メリルの息子であるアラン・メリル。
湯川 ただ、あの時は、近田さんたちとはほとんど言葉を交わしませんでしたね。
近田 ええ。湯川さんといったら、すでに大物の音楽評論家で、対する僕らは、まだレコードデビューすら果たしていない、アマチュアに毛が生えた程度の子どもみたいな存在でしたから。あまりに恐れ多くって、気軽に話しかけることもできなかった。
湯川 あのフィルムコンサートでは、レッド・ツェッペリンとかエマーソン・レイク&パーマーとか、当時のワーナー・パイオニアからリリースされていた新しいロックバンドを紹介したことを覚えています。
近田 今日は、湯川さんの華麗なるキャリアについて、うかがっていきたいと思います。そもそも、どんなご家庭にお生まれになったんですか。
湯川 父は米沢藩の武家の出でした。海軍きっての中国通として、足かけ20年以上も中国に駐在していたんです。母は仙台で裁判官の娘として生まれましたが、ルーツは米沢にあり、その関係から父との縁談が持ち込まれることになったんだとか。父と母は、結婚式当日に初めて顔を合わせたそうです。
近田 そういう話って、噂には聞くけど、本当にあったんですね。
湯川 何でも、父は「こんなきれいな人がお嫁に来るんだ」と喜んだんだけど、母は綿帽子の陰から父を見て、「口髭を生やしたこんな怖い人のところにお嫁に行かなくちゃならないんだ」とポロポロ涙を流していたらしい(笑)。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword
