2024年は打ちのめされて傷つく、そんな一年でした
「信頼できるパートナーが欲しい」
そんな時に出会ったのが二井梓緒だった。二井は映像制作会社Spoonでプロデュ―サーとして働いている。2024年の年明け、監督業だけでは難しいかも、と悩んだ金子が脚本執筆や広告映像の制作など、いろいろ試行錯誤していた時に二人は出会った。
「元々金子さんの作品が好きで、NOBODYという批評サイトでぬいしゃべの批評文も書いたりしていたので、うれしくて直ぐにご飯に誘いました。初対面のときの打ち合わせが大人過ぎる話ばかりで全然楽しくお話できなかったので仲良くしましょうって(笑)」(二井さん)
映画好きの二人は直ぐに意気投合。3月には金子が監督するゆっきゅんのMVのプロデューサーを二井が務めるなどの現場も重ね、自然と二人は「一緒に映画をつくること」を話していくようになった。制作会社や配給会社を巡る、ドラマの企画を作る、助成金事業に応募する……。しかし、想いとは裏腹に結果は芳しくないものだった。
「いわゆる世間一般的にまっとうな映画製作の流れを実践したのですが、助成金や公募に応募してもなかなか結果が出なかったり。あまりにも自分たちと既存のシステムがかみ合わなくて傷つく、2024年はそんな一年でした。映画を作りたいだけなのになんでこんなに人間関係や資金繰りで苦しむんだろうって」(二井さん)
打ちのめされる度に二人は集まって作戦会議を開いた。
「2024年は下北沢のチェーン店の喫茶店にそれこそずっといました。すごくいいお店なのですが、あまりにお店にいたのと、地下の店舗ということもあって、本当に煮詰まっていました。まさに半地下(笑)。地上に出たくて堪らなかったですね」(金子さん)
光の射す方角を探して、水面下で右往左往する日々。しかし、結果が出なくても二人の歩みが止まることはなかった。そして、2025年2月、OKプロジェクトが産声を上げる。きっかけは『肌蹴る光線』の主催者でもある、井戸川紀美への相談だった。
「井戸沼さんが空 音央監督や増渕愛子プロデュ―サーを紹介してくれたのです。お会いして相談したときに、空さんチームが私たちよりも何倍もアクションを起こしていたことがわかって驚きました。それと同時に『とにかく動くこと。いつまでに作品を撮る、とゴールを決めてみたら』とアドバイスをいただいて。そうして、2027年に私たちは映画を撮る! と私たちのコレクティブに名前をちゃんとつけて『OKプロジェクト』を立ち上げました」(金子さん)










