でも、セツは物怖じしない人です。幼い頃、初めて見た外国人のフランス人ワレットに接しても、たじろぎもせず、虫眼鏡をプレゼントされた。そんな逸話からも分かるように、初対面の八雲にも臆することはなかったでしょう。尋常中学校の教師として重んじられていましたから、少しばかり、かしこまっていたかもしれませんけどね。
たしかにセツはスレンダーな人ではないのですが、それは明治以降、世の中が険しくなり、育った家が貧窮してしまったためなのだ……すぐに八雲は思い至ります。
「ママの手足の太いのは少女時代から盛んに機を織った為だ」と八雲に教えられた。
長男の一雄は『父小泉八雲』にそう書き残しています。
“最初の結婚”に失敗した2人
八雲は松江に着いて以来の独り暮らしで寂しい思いをしていました。食事の世話などは富田旅館の女将らが続けてくれましたが、日本語ができませんし、何かと不自由だったと思います。そこへきて、セツという気働きができ、地元の事情に通じた人が住み込みでいてくれるようになる。頼もしい味方を得た思いに包まれ、やがて心がほどけ、接近していったのでしょう。
二人とも最初の結婚につまずいています。セツは婿養子を迎えましたが、その暮らしは早々に破綻してしまいました。八雲も米シンシナティで暮らした20代半ば、最初の結婚をしましたが、3年ほどでついえています。
「破れ鍋に綴じ蓋」
そんなものの言い方がありますが、心にいくつも傷を抱えた者同士だけに、言葉は分からなくても、えもいわれぬ安らぎがふたりに芽生えたのだ、と思えます。
それを物語る逸話があります。
セツが来てまだ日が浅い頃、八雲は荒れた手を痛ましく思い、自らの手でさすり、いたわったことがあったそうです。
〈あなたは貞実な人です。この手その証拠です〉(『父小泉八雲』)
そばには英語の堪能な親友、西田千太郎がついていて、そんな慰めの言葉を、はにかんでいるセツに伝えました。互いの言葉は分からなくても、貧しい暮らしの機微を知る二人の心は通じ合います。










