映画に関して、重箱の隅を突くことはもちろんできますが、それはこの映画がそもそもフィクションだから。それに時間の関係で小説では描かれていることもカットせざるをえなかったことも山ほどあるみたいですしね。

 例えば『二人道成寺』まで踊ったような人が、急に親代わりの師匠が亡くなって腰元の一番端の役をやらされることは絶対にないだろうなとか。昭和の時代にあそこまで上りつめた役者、それも御曹司が歌舞伎を辞めて地方の芝居小屋を回るようなこともないだろうし、中村鴈治郎さんが演じられた吾妻千五郎のところに、喜久雄が部屋子の立場で挨拶に行ったときに「今度あの役をやらせてくれませんか」と言うシーンで、「○○屋のおじさん」と呼びかけるのですが、弟子筋の人間は、あそこでそういう呼び方はしません。御曹司同士はいいんだけど、弟子筋は幹部俳優になったとしても言えないと思います。

刺青が入っている役者が人間国宝になれるか?

 あと「背中に刺青が入っている役者が国宝になれるか」などと言う人はいますが、人間国宝になれるかどうかはともかく、古いお弟子さんで刺青が入っている方は何人かいました。今のタトゥーみたいなおしゃれなものではないもっと本格的な、蜘蛛の巣と蜘蛛の彫り物とか。舞台ではどうしていたんでしょう。腕まくりをする役でなければいいのでしょうか。お武家さんの役だとしたら衣裳で見えないし、着肉を着込んでいてもわからないし、逆に素行の悪い役だったら入っていてもいいですしね。

 とにかく、役者の皆さんがよく歌舞伎の世界を体現した映画だなと思います。本当に、過去に歌舞伎界を描いたドラマや映画はいくつかあったと思いますけど、その中でもトップクラスに入る作品でした。さすが、原作の吉田修一さんが黒衣で成駒家さんについて取材しただけのことはあります。

 特に主演のお二人については、1年半のお稽古であれだけのことをよくやったと思います。アップが多いからお化粧の感じもよく見えましたが不自然ではなかったし。

 全国のいろんな劇場がロケ地になっていたのもいいな、と思いました。国立劇場の小劇場の楽屋とか、先斗町の歌舞練場とか、永楽館とかも、今の『国宝』効果で賑わっているというし。

次のページ 「あの女方はすごくリアルでした」