「ついにきたかと思いました」

 2025年7月のとある日。それまで、ずっと温度調節のために冷房がついていたバックヤードに、冷房がついていないことに気づいた。そこには誰もいなかったし、何もなかった。そのとき初めて、(パンダたちが本当に中国へ旅立っていったんだな)と実感した。これがパンダたちが旅立った後の飼育スタッフの中谷さんの率直な感想だ。

 わたしにとっては、飼育スタッフの中谷さんは、拙著の2番目の本のときに、1歳を迎えたばかりの結浜を抱っこしたりする姿を撮らせていただいた被写体としての印象が強かった。フレームの中では、いつも結浜と一緒にいるイメージ。当然、中谷さんがアドベンチャーワールドで働き出してから、パンダがいなかった日などなかった。覚悟と責任を背負ってやってきた中谷さんにとって、パンダがいない光景というのは、どれほどのものだったのだろうか。

「ついにきたかと思いました。アドベンチャーワールドにいる全4頭が旅立つということは、やっぱり寂しさもありました。ただ、いずれは旅立つ可能性がありましたし、その先の環境をちゃんと見通せるくらいに立派に育った証でもあるんだなと思えました。パンダとしてのネクスト・ステップへと進むことができたわけですから、嬉しさも感じました」

 そして、パンダがいなくなった今。飼育スタッフの中谷さんが、ずっと感じていた責任から解き放たれたかといえば、そうではない。すでに新しい動物の飼育を担当しているし、いつの日か飼育スタッフをやめた後でさえ、自分たちが見てきた動物のことを考えてしまうだろう。

 わたしはアドベンチャーワールドのパンダをたくさん見て、撮影して、本をつくってきた。同時にそれは、パンダの飼育に取り組むスタッフの姿を見て、考えることでもあった。しかし、当然ながら、いつも忙しく動いている飼育スタッフに取材する機会はあっても、フレンドリーに言葉を交わすことなどはない。ましてや、個別にじっくりとパンダにまつわるエピソードを尋ねることなどはできないものだ。

 パンダが旅立っていった今、初めて飼育スタッフの内心というかエモーショナルの部分に少しだけ踏み込んでみた。例えば、中谷さんだけが感じ取っているパンダの魅力やかわいいと思う部分だ。

「動物といることが好きだし楽しいので、その気持ちのままに飼育スタッフという道を選びました。スタッフになる前までは、自分や家族が幸せでいることが大切だと思っていました。しかし、今はそれだけではありません。パンダという生きものと、そこにリンクする環境や他の生きものも含めて、もっといろいろな人々に共に生きることの大切さを伝えたいと思うようになりました。

 それはアドベンチャーワールドのパンダのおかげだし、パンダの飼育スタッフとして過ごした8年間があるからこそです。そういうものを通して、多くの人と繋がって、より多くの場所で話す機会を得ることもできました。現在、アドベンチャーワールドにパンダはいないですが、これで終わりじゃないんだよということも伝えたいですし、みなさんもそう伝えていって欲しいです。中国での未来において、母になったり、その子がまた母になり、さらにその子孫が野生復帰に関わるようなことがあるのかもしれません」

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