旧態依然とした常識は、新たなコンプライアンスによって、洗い流されていく。
先日、久しぶりに実家の様子を見に行った。
しばらく会っていない間に、母はずいぶんと年老いていた。かつてリンゴの皮を器用にうさぎの耳へと変えていたその手は、皺だらけとなり、いまでは自分の茶碗を持つのも少し頼りないようだった。
台所で夕食の片づけを手伝っていると、食器棚の奥から、あの「いちご専用スプーン」が出てきた。柄の部分が少し黒ずんでいる。もう二十年以上も出番はなかったはずなのに、よく捨てられていなかったものである。よく見たら、「グレープフルーツ専用スプーン」もある。懐かしいねえ、と母が笑う。その目尻の皺に、過ぎ去った日々の厚みを見る。
激動の時代であった。シャインマスカットの鮮烈なデビューによって、我々は皮を剥いて食べるブドウのことが億劫になった。スーパーマーケットにはカットされたフルーツが並ぶようになり、パイナップルをまるごと買う機会は激減した。「果物」として登場したアボカドは、やがて「おかず」としての地位を確立した。旧態依然とした常識は、新たなコンプライアンスによって、洗い流されていく。そのうち、私たちは皮ごとメロンを食べるようになるかもしれない。柿をバターで焼くようになるかもしれない。ドラゴンフルーツを日常の食卓に受け入れるようになるかもしれない。川で再びスイカを冷やすようになるかもしれない。常識とは、常に変わりゆくからこそ、常識なのである。
食後のデザートは、リンゴにしようか。そう言って私は包丁を握る。
いつもであれば「スターカット」だが、しかし少し考えてから、縦に八等分して、芯を切り落とした。母に、「リンゴのうさぎ」を切ってやろう。
皮にV字の切れ込みを入れる。不器用な指先がおぼつかず、皮の厚さが均一にならない。耳の形がいびつになる。めんどくさい。本当に、めんどくさい。あの頃、母はこんなにもめんどくさい作業を、毎日やっていたのか。
はい、どうぞ。不格好なうさぎたちを皿の上に載せて出すと、あら、上手に切ったじゃない、と母は喜んだ。
楊枝で口に運んでみる。アナログな甘みと酸味が、口の中に広がる。うん、美味しいリンゴだね、と母は言う。まあね、そうだね、なんて適当に返事をしながら、こうやって母と食卓を囲む機会は、もしかしたらもう数えるほどしか残っていないのかもしれないな、なんてぼんやりと思う。しかしそれを口にして母に伝えることもまた、なんだか間違っている気がして、ただ移ろってしまった時間の流れだけを飲み込んだ。
ワクサカソウヘイ
文筆家。1983年東京都生まれ。エッセイから小説、ルポ、脚本など、執筆活動は多岐にわたる。著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』『夜の墓場で反省会』『男だけど、』『ふざける力』『出セイカツ記』など多数。また制作業や構成作家として多くの舞台やコントライブ、イベントにも携わっている。
X:@wakusaka
Column
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
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