長崎の特別な思い出
――今でも鮮明に思い出せると語られている、イシグロさんが5歳まで暮らしていた長崎の街や風景が映画で再現されました。ご覧になっていかがでしたか?
イシグロ かなりノスタルジックな気持ちになりました。長崎には、たくさんの思い出がありますから。
石川監督はロケ地を求めて長崎を訪れたものの、当時の面影はまったく残っていなかったので、他の場所で撮影しなければならなかった。でも、だからこそ私が小説で描いた長崎を彷彿とさせる映像を創造できたのだと思います。

小説のなかの長崎は、私の主観的な記憶や家族アルバムに残された写真に基づいて書かれたものです。監督は細心の注意を払って、私の記憶を再現しようとしてくれたように思います。特にケーブルカーで稲佐山を登るシーン。小さい頃に行った、あの小旅行のことをとてもよく覚えています。稲佐山は長崎の市街と目と鼻の先にあるのですが、私にとって、そこに出かけていくことは、とても特別なことでした。3、4回は行ったと思います。そこを訪れたときの写真が家族アルバムに残っています。映画のシーンを見たときには、私の記憶と写真の双方が、ほとんどそのままスクリーンに映し出されたように感じました。

でも、実際には少しタイムスリップが起きているんです。映画の舞台となっている1950年代前半には、まだケーブルカーは開通していなかった。映画のように山頂までケーブルカーで行くには、それから数年待たなければなりません。でも、監督は小説と映画になくてはならないシーンだと考えて、史実とのズレはかまわないと考えた。そのおかげで小説に書いたシーンがそのまま映像化されることになったのです。
※本記事の全文(約8500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年9月号に掲載されています(カズオ・イシグロ「日本はいつも面白い話に溢れている」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・四度目の正直
・忘れられつつある核の恐怖
・取り残された人々への共感
・厄介事が及ばない場所

2025.09.25(木)
文=カズオ・イシグロ