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 『アンパンマン』の作者やなせたかしさんと妻・暢(のぶ)さんをデルに、二人が苦難を乗り越えてアンパンマンを生み出すまでのストーリーを描く連続テレビ小説『あんぱん』。その脚本家である中園ミホさんのトークショーが、8月20日(水)、日本橋三越本店で開催されました。

 三越は若き日のやなせさんが宣伝部に勤務したゆかりのある百貨店で、ドラマでは「三星百貨店」として描かれています。会場では、三星百貨店の仕事机などの大道具や出演者の衣装などを展示する「連続テレビ小説『あんぱん』展」も開催(現在は終了、名古屋栄三越にて9月10日~29日に開催)。『あんぱん』ファンをはじめとする来場者で賑わいました。

 トークショーの司会は、ご自身も『あんぱん』の大ファンだというアナウンサーの塚原 愛さん。中園さんとやなせさんの関係から『あんぱん』制作秘話まで、さまざまなトークが繰り広げられました。その様子をレポートします。

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大盛況だった『あんぱん』トークイベントの様子をレポート!

塚原 愛さん(以下、塚原) 今朝も『あんぱん』を観て思わず涙しそうになりまして、いろいろお聞きしたいことがたくさんありますが、まず、中園さんとやなせさんは深いご縁がおありだそうですね。

中園ミホさん(以下、中園) そうなんです。私が10歳の時に父が亡くなったんですけど、元気がない私に、母がやなせたかしさんの詩集『愛する歌』を買ってきてくれたんですね。

 表紙を開いたところに、「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさびしいね 人間なんておかしいね」っていうやなせさんの詩と絵が書いてあって、すごくその詩に救われたんですよ。父だけが一人で死んでいったんじゃなくて、みんなそうなんだ。自分もみんなも一人で死んでいくんだって。

 それで、その気持ちを手紙に書いてやなせさんに送ったんですよね。そしたら、本当に驚くような早さでお返事をいただいて。そこから文通が始まって、音楽会にも何回か招待していただきました。

塚原 じゃあ小学校4年生ぐらいの中園さんのお便りにやなせさんがお返事をくださって、そこからご縁が始まったんですね。

中園 そうなんです。実はアンパンマンも、最初の頃に絵を送ってくださったんですよ。最初は今のあの丸いアンパンマンではなくて太ったおじさんの「あんぱんまん」なんですね。その絵を送ってくださって「どう思いますか?」って。それでこっちも生意気になっちゃって、「いや、なかなか明るくていいと思います」なんてすごく上から目線のお返事を書いて(笑)。でも、そういう手紙を書いても全然怒らない、本当に優しい方でしたね。

塚原 実際に何度もお会いになっているんですよね。

中園 お会いすると必ず、「元気ですか? お腹空いてませんか?」って言ってくださったのがすごく印象に残っています。ドラマにもありましたが、戦争であれだけ大変な思いをされたからでしょうね。「この子、お腹空かしていないかな」っていつも気にしてくださる優しい方でした。

 なので、やなせさんは私にとってちょっと特別な想いがある方。今回「朝ドラを書きませんか?』って声をかけていただいた時は、以前に『花子とアン』を書いてあまりにも大変だったので、正直断ろうと思ったんですよ。

 だけど、「誰かモデルとして描きたい人はいらっしゃいますか?」と聞かれた時、思わず「やなせたかしさん」って答えてしまって。そうしたら偶然にも制作統括のスタッフもやなせさん夫妻が気になっていたようで、それで企画が通ってしまったんです。企画が通ったからには、やなせたかしさんを他の方に書かれるのは悔しいなと思ってお引き受けしました。

2025.09.05(金)
文=張替裕子(ジラフ)
写真=細田 忠