
『アンパンマン』の作者やなせたかしさんと妻・暢(のぶ)さんをデルに、二人が苦難を乗り越えてアンパンマンを生み出すまでのストーリーを描く連続テレビ小説『あんぱん』。その脚本家である中園ミホさんのトークショーが、8月20日(水)、日本橋三越本店で開催されました。
三越は若き日のやなせさんが宣伝部に勤務したゆかりのある百貨店で、ドラマでは「三星百貨店」として描かれています。会場では、三星百貨店の仕事机などの大道具や出演者の衣装などを展示する「連続テレビ小説『あんぱん』展」も開催(現在は終了、名古屋栄三越にて9月10日~29日に開催)。『あんぱん』ファンをはじめとする来場者で賑わいました。
トークショーの司会は、ご自身も『あんぱん』の大ファンだというアナウンサーの塚原 愛さん。中園さんとやなせさんの関係から『あんぱん』制作秘話まで、さまざまなトークが繰り広げられました。その様子をレポートします。
ほがらかなやなせさんに秘められた強い反戦の想い

塚原 ドラマは嵩の「正義は逆転する」というセリフから始まりましたね。朝ドラでアンパンマンを描いたやなせ夫妻がモデルとなると明るく始まるものと思っていたら、あの言葉で始まってすごく驚きました。
中園 やなせさんは、私が親しくしていただいていた頃は、戦争の話はなさらかったんですね。私の前では本当にほがらかな楽しい方で。ただ、晩年になって戦争についての本をいっぱい書かれていて、やっぱり大変な思いをなさったので、話すまでになかなか時間がかかったんじゃないかと思うんです。
『ぼくは戦争は大きらい』(小学館クリエイティブ)とか『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)とか、やなせさんが書かれた本を読むとどれだけ反戦への思いが強い人だったかということも分かりますし、その強い思いでアンパンマンを書かれていたんだということも分かりました。
「正義は逆転する。じゃあ、逆転しない正義とは何だ。それはお腹を空かせた人に1切れのパンを届けることだ」って、やなせさんはいろんなところでおっしゃっているんです。
塚原 それって、もう本当にアンパンマンそのものですよね。自分の顔をちぎって人にあげるという。

中園 そうですよね。やなせさんは戦時下の教育を受けて、自分は正義を行うのだと思って戦地に行ったけれど、それは本当の正義ではなかった。でも、当時はほとんどの日本人がそうだったんです。一人ひとりが周囲に流されるのではなく、本当の正義とは何かを考え続けないと、いつでもまたあの時代のようになってしまう。それは本当に恐ろしいことです。
やなせさんが亡くなってからは特に「今のこの世の中を見て、やなせさんだったら何をおっしゃるだろう」と考えるようになりました。そこに朝ドラでやなせさんを描くことになり、「正義は逆転する」という言葉は必ず伝えなきゃいけないって思ったんです。だからやなせさんを描くということは、戦争を描くということだと思っています。
塚原 ドラマの中でも戦争のシーンが丁寧に描かれていて、本当に子供と真剣に観ていました。その間、俳優さんたちもどんどん痩せていかれましたよね。

中園 そうなんですよ。嵩たちが戦地で飢えて、村のおばあさんから食べ物を奪うシーンも出てきましたけど、あそこはト書きで「ゆで卵を食べる」としか書いていなかったんです。極限まで飢えたら人間はどうするのか、そこは演出らスタッフや俳優さんに任せようと思って出来上がった映像を見たら、いきなり殻ごと食べたでしょう?
嵩役の北村匠海さんたちは本当に3日間ぐらい絶食してから撮影に向かっていたらしく、そういう人にとってはもうあの卵は栄養源でしかなくて、全然殻を剥こうなんて考えなかった。そんな苦労をしなくてもいい俳優さんたちが、そこまで自分たちを追い込んで演じてくださって、いや、本当にすごいなぁって。
塚原 やなせさんが今の「あんぱん」を観てどんな感想をお持ちになると思われますか?
中園 私、それを考えるのがすごく怖くて。優しい方だから叱られはしないだろうけど、いろいろ文句があるんじゃないかなって思いながら書いている日もあったんです。そしたら、やなせさんとすごく親交が深かった戸田恵子さんとノンフィクション作家の梯久美子さんが、最初にお会いした時に、「先生、絶対喜んでると思う!」って言ってくださって、それがすごく救いになりました。それを糧に最終回まで書ききることができました。
2025.09.05(金)
文=張替裕子(ジラフ)
写真=細田 忠