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悩むやなせさんを支えた、強く優しい「はちきんおのぶ」

塚原 やなせさんはドラマでは「柳井嵩」として北村匠海さんが演じていらっしゃいますが、嵩の印象と実際のやなせさんは違いますか?

中園 私がお会いしたやなせさんは、もっと明るくて、ハキハキしていて声が大きくて、すごく朗らかな楽しい”おじさん”だったんです。ただ、今回は生い立ちから思春期、青年期と詳しく調べて感じたのは、あぁいう幼少期や戦争体験などがある方なので、私たちにはすごく明るく接してくださっていたけれど、それはよそゆきの顔だったのかな、と。本当は北村くんが演じているような繊細な感じの方だったんじゃないかと、今は強く思っています。

塚原 やなせさんと暢さんは、実際には大人になってから出会われたそうですが、ドラマでは幼少期に出会っていますよね。

中園 暢さんについては調べてみても5つぐらいしか情報が出てこなかったんですよ。「はちきんおのぶ」(はちきんは、「男勝りの女性」を指す土佐弁)、「いだてんおのぶ」と呼ばれていて、足がすごい速い女性だったということ。高知新聞でやなせさんと出会ったということ。それから、これはドラマでそのシーンを書きましたけど、高知新聞時代、広告費を払わない店主に向かってハンドバックを投げつけたらしいということ。

中園 あとは、おでん事件。当時、高知新聞の社員たちが上京した時におでんを食べてみんなおなかを壊したんだけれど、一人だけ元気で、みんなを介抱したらしい。でも実は遠慮してみんなに練り物を食べさせて、自分は大根だけ食べていたからだと。だから、気が強くてすごく元気な女の人ではあったんだけど、やっぱりすごく優しい人だったんだなぁと思いましたね。

塚原 おでんのシーンはドラマにもありましたね。

中園 あと一つは、ここ三越をやなせさんが辞めた時の話です。やなせさんは27歳から6年間三越に勤めたんですね。その三越を辞めて漫画1本で生きていきたいと。でも仕事がなかったらどうしようってやなせさんが悩んでいる時に、「辞めちゃいなさいよ。うまくいかなかったら私が食べさせてあげるから」って暢さんがおっしゃったそうなんです。それだけ聞いても、すごく魅力的な女性だなぁと。

塚原 当時、女性が「私が食べさせてあげるわよ」なんて言えませんよね。今の時代でも私は言えませんけど(笑)。

中園 そうですよね。だから、多分暢さんがいなかったらやなせさんはずっと三越にお勤めだったかもしれない(笑)。皆さんご存知かもしれませんけど、三越の包装紙の「Mitsukoshi」っていう筆記体の文字を書いたのはやなせさんなんです。そういうふうに本当にやなせさんととてもつながりの深い三越でこんなふうにお話ができて、とてもうれしく思います。

2025.09.05(金)
文=張替裕子(ジラフ)
写真=細田 忠