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死の間際、ゾウのアサコが取った驚きの行動とは

松井 聞きたいことがいっぱいあります。旭山動物園の園長をされていた先生ですが、獣医として旭山動物園に入った当時、北海道では動物園の動物を扱う獣医は畜産を扱う獣医に比べて立場が下だったんですか?

小菅 下というより、畜産のために獣医学があったということですね。国策として重要な畜産という大きな分野の中に獣医という仕事があったから、社会的に役立つのは畜産の獣医だったということです。大学の同期40人中ほとんどが畜産の現場や研究所に就職しましたからね。

松井 どうして動物園に入られたんですか?

小菅 今、勉強ができないからだと思ったんでしょう?

松井 (笑)。そう思いました。

小菅 僕はずっと柔道をやっていて、腕が人の2倍くらい太かった。馬や牛を診る時、お尻から腕を入れて直腸粘膜越しに触診するんですけど、僕は腕が太くて入らなかったんです。「お前は牛を扱えない」と言う先生に「どうしたらいいんでしょうか?」と聞いたら、「自分で考えろ」と言われて。大学4年の(卒業間際の)3月に、旭山動物園からの求人を見つけて就職担当の先生のところに行ったんです。

松井 なるほど。先生が扱える動物がいるから、旭山動物園に就職したんですね。そこで、アジアゾウのアサコと出会うわけですか。

小菅 アサコは1968年、本州の某動物園から来た大人のゾウでした。当時、ほかの園でゾウはメス2頭で飼育されることが多かったんです。なぜなら、オスのゾウは凶暴で危ないとされていたから。最初から繁殖を考えていない園が多い中で、旭山は真面目にゾウの繁殖を目指してたので、すぐにオスのタロウという個体を入れました。けれど、繁殖はまったく成功しませんでした。

松井 本にも書いてありますけど、当時、ゾウ本来の環境を再現できなかったという影響もあったんですか?

小菅 環境というより、生活スタイルといったほうがいいのかな。当時、ゾウがどういうふうに生活しているかをまったく知らないまま飼育していたんです。そのうちタロウが死んでしまって。ゾウは群れで生きる動物なので、アサコ1頭のままではかわいそうだから、ほかの個体を導入しようとしていました。だけど、日本がワシントン条約を批准したため、希少動物が入ってこなくなってしまったんです。

 いろんなところに(候補がいないか)当たってみたけれど、アジアゾウは特に厳しかった。そうしているうちに、アメリカからナナというアフリカ系のマルミミゾウのメスを導入することができたんです。アサコとナナは仲がよくてね。旭山動物園は当時、10月くらいから4月まで雪が深い時期は閉園していたんですよ。旭川は日本でいちばん寒いところだからね。

松井 お客さんもその期間は来れる状況ではなかったんですね。

小菅 お客さんがいない間、2頭を外で散歩させると、アサコが深い雪を蹴散らして道を作っていくんですよ。その後ろをナナもついて行って、2頭で楽しそうにしていましたね。結局、アサコは推定56歳くらいまでがんばって生きました。ゾウは起き上がるのが大変なので、アサコはずっと立ったままだったんだけど、50歳過ぎると頭(の位置)を維持するのが辛くなったんでしょうね。ある夜、アサコのところへ行ったら、扉に鼻を引っ掛けていたんですよ。

松井 そうやって、鼻で頭を支えていたんですね。

小菅 このままじゃだめだと思って、病院へ行って鉄製のがっちりとした檻を取ってきて入れたら、その上に顎を乗せていました。そんなアサコを見て、私は現場に「延命治療はしなくていい。ただ、倒れた時はちゃんと寝返りをさせてくれ。どこか痛そうにしていたら痛み止めを与えてほしい」と伝えました。で、たまたま仕事で函館に行っている間に、アサコが倒れてしまったんですよ。電話がかかってきて「ゾウが倒れました」って言うから、「俺が言った通り、藁をがっつりと敷いてほしい」と。褥瘡ってわかりますか?

松井 床ずれですよね?

小菅 そう! いい言葉を知っているね。褥瘡ってひどいと骨が出てきてしまったりもするから、乾燥した藁を敷いて、3時間くらいに1回寝返りをさせてもらうようにお願いしました。

松井 その寝返りって、人間がするんですよね。重機とかを使うんですか?

小菅 重機は獣舎に入れないので、天井にフックを取り付けて、チェーンブロックってわかりますか? 工場の現場にあるチェーンで持ち上げるやつ。それに、横になっているアサコの足を4本引っ掛けて持ち上げて寝返りをさせていたんです。

松井 それは大変ですね。

小菅 職員は寝ないで看病していました。函館から電話で様子を聞くと、「アサコはがんばっています」と言っていましたね。倒れてから3日目の夜に函館から旭川まで車で帰って(夜中の)11時頃、園に着いたんです。獣舎に向かうと、横になっていたアサコが私の顔を見て鼻を上げたんです。こっちおいでって。

松井 今まではできなかったのに。

小菅 そう。「アサコ、がんばったな。もうがんばらんでいいから」って言ったら、俺の足のところに鼻を絡めてきた。「アサコ、もういいよ」って言ったら、ストーンとその鼻を落として……。

松井 小菅さんの帰りを待っていたかのような最期だったんですね。

小菅 あれはすごい経験でした。

2025.08.07(木)
文=高本亜紀
写真=細田 忠