ここまでの話だけでも、人間は数と共に生きていることがよく分かります。
数学のド文系的楽しみ方
お話を伺ううちに、すっかり数というものに親しみを覚え、数学もそんなに嫌いではないのかもと思い始めました……が、ド文系の人間としてはまだコンプレックスを拭いきれません。
いえいえ、敢えて文系と理系を分けて言うなら、数学には文系的な楽しみもあるのですよ。僕がそれにはっきりと気づいたのは、2010年に『ガロア 天才数学者の生涯』(角川ソフィア文庫)という本を書いていたときです。
エヴァリスト・ガロア(1811~1832)は、10代にして後の数学界に大きな影響を与える大理論を打ち立てたフランスの数学者です。彼は20歳の若さでこの世を去っているのですが、その原因はなんと決闘によって負った傷だということでした。
ガロアの生涯を描くに当たってはまず、彼が暮らしていたパリの雰囲気を知りたいと思いました。パリは19世紀後半にオスマンという当時のセーヌ県知事が大改造をおこない、現在のような花の都になった。ガロアが生きていたのは19世紀の前半ですから、当時のパリは今とは街の様子が全く違うはずでした。そこでヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』、スタンダールの『赤と黒』など、当時のフランス文学を読みまくっていると、当時のパリの雰囲気が感覚としてだんだん分かるようになりました。
そうすると次に、決闘するという感覚が知りたくなった。決闘なんて現代の我々はしないですよね。だから、全く想像がつかなかったわけです。そこで決闘に関するいろいろな歴史書を読みこんでいくと、当時のフランスでは、若者による決闘は日常茶飯事だったことが分かりました。
では、ガロアの決闘はどこで行われたのか。文献を調べると大まかな場所は特定できます。現地に赴いてそのあたりを歩いてみると、起伏に富み、かなり複雑な地形になっていることが分かりました。昔はここに川が流れていたのだろうか……とか、歩いていると様々な疑問が湧いてきて、当時の街路図を見たくなった。ところが、オスマンの大改造があったこともあり、昔の街路図がほとんど残っていないんですよ。それでもいろいろと調べてみて、地図が残っているところを突きとめた。パリ市最古の博物館であるカルナヴァレ博物館(カルナヴァレ─パリ市歴史博物館)に、畳1畳分ほどもあろうかという大きくて詳細な街路図が何十冊も保管されているというんですね。
2025.05.13(火)