骨と皮だったけれど、爽やかに生きていた避難所に戻りたい

――不安に駆られた愛子さんの「私が生きてたこと覚えてくれる人いるよね?」という叫びは、運命に翻弄されながらも懸命に生きた声なき人の叫びとして響いてきます。

 僕自身、撮った映像を編集して映画にすることで、初めて気付いたことも多くて。愛子さんが発する言葉って、昭和の女性の生き方を代弁するものだと思うんです。

 僕も愛子さんの人生について全てを聞いたわけではないので、作中に登場するような断片をパズルみたいに組み合わせて想像するしかないんですが、大家族の下から二番目の女の子として生まれて、上の子たちが次々に家を出ていく中で、愛子さんが19歳の時にお父さんが亡くなって。

 映画には出てこないんですが二十代から三十代はお母さんと妹さんの介護に追われて、39歳のときに仙台でお店を始めて、やっと自分の人生を生きるようになったんだけど、そこからも姪っ子さんを大学にやるために働いてた。

 縁談の話もたくさんあったらしいけど、決まりそうになると逃げてたらしくて。本当の理由はわからないけど、結婚が女性の幸せという時代にそれを選ばなかった愛子さんは、やっぱりいろんなものを背負われて生きていたのかなって。

――私たちの世代では「結婚=女性の幸せ」という価値観は薄れつつありますが、女性が家族のケアを背負わされる例はまだまだ多い。

 だから、愛子さんは多くの人が口に出せない言葉を代弁する「語り部」でもあった。東北には震災だけでなく、その地域に語り継がれるお話を伝承する文化があるんですが、愛子さんも自分の体験はもちろん、普遍的な人の思いを言葉にできる人だった気がします。

――避難所を懐かしがる愛子さんの「あの時に戻りたいよ。避難所の骨と皮で食べ物なくて、ガスも電気もなくて、爽やかに清々しく生きてたあの時代」という言葉には、人間の幸せって、豊かさってなんだろうと胸を突かれました。

 すごいですよね。ご本人的には衝動的な叫びなのかもしれないけど、震災云々を超えて、ものに溢れた時代に生きる現代人の心を突いてくる。僕自身、結婚は一度しましたが今はひとりなので、愛子さんの孤独はすごくわかったし、愛子さんの姿を通して、自分もこの先どう生きていけばいいのか、すごく考えさせられた。

――女性に限らず。高齢化が進む今の日本では、誰しも「おひとりさま問題」と無関係ではありません。そんな今、人との繋がりを大切に生きた愛子さんの映画が公開される意義は大きい気がします。

 辛い思いをしたときに、自分が言えなかったことを誰かが言葉にしてくれることで、気持ちが楽になったり、救われるようなことってあると思うんです。

 この映画は東日本大震災のドキュメンタリーではあるけど、たとえば能登の地震で家をなくした人も役に立つことがあるかもしれないし、災害関係なく、ひとり暮らしで今はいいけど将来が不安という人にも何か感じてもらえることがあるかもしれない。ひとりでも多くの人に愛子さんの言葉が伝われば嬉しいですね。

【STORY】

避難所の記憶を胸に、その後を生きた愛子さん8年間の記録。2011年の東日本大震災で石巻の家を津波に流された村上愛子さん、当時69歳。その出来事は天涯孤独に生きていた愛子さんの人生を大きく変えました。避難所での集団生活は、今まで知り合うこともなかった近隣の方と寝食を共にし、皆と心のつながるかけがえのない時間でした。その後、仮設住宅で7年を過ごし復興住宅へと移っていきます―。

映画『風に立つ愛子さん』

2025年2月22日(土)よりポレポレ東中野にて公開。全国順次公開予定
監督・撮影:藤川佳三
出演:村上愛子、石川ゆきな、湊小学校避難所の人々、石巻市仮設住宅の人々
製作:IN&OUT
配給:ブライトホース・フィルム
https://aikosan.brighthorse-film.com

2025.02.15(土)
文=井口啓子
写真=平松市聖