2012年夏に公開された映画『石巻市立湊小学校避難所』は、東日本大震災で家を追われた人々が避難先の小学校で共に暮らし、時には本音を爆発させながらも明るく生きる姿をとらえた異色の震災ドキュメンタリーだった。そして2025年春、同作の中心人物だった「愛子さん」のその後の人生を記録した映画『風に立つ愛子さん』が公開される。

 「震災ドキュメンタリー」という言葉に身構えてしまう人も、ひとたび映画が始まれば、子供のように無邪気でお喋りでニコニコ笑顔の愛子さんに魅了されずにいられない! 不安で孤独な日々の中で、それでも生活を楽しみ、人との繋がりを大切に生きた愛子さん。彼女の生きた証である言葉は、誰もが不安を抱えている時代に本当の幸せとは、豊かさとは何なのか、一筋の光を導いてくれるはずだ。

 監督であり、ストーリーテラーでもある藤川佳三さんにお話を聞いた。


愛子さんの人間的な魅力に惹かれていった

――異色の震災ドキュメンタリー『石巻市立湊小学校避難所』は、大手メディアが伝えない被災者の本音とそこで生まれた温かな繋がりをとらえたヒューマンドラマでもありました。

 僕自身、最初は映像作家の友人に誘われて行った感じで、映像を撮るつもりはなかったんです。でも、カメラを下げていたので、いろんな人に喋りかけられて、その話に衝撃を受けて、ちゃんと残さなきゃと思った。あと震災直後の避難所って自衛隊とかボランティア団体とか、いろんな人が行き交う街みたいになってて、そこで子供たちが歌を歌ったり踊ったりしてる。その光景を記録しておきたいと思ったんですね。

――じゃあ、あんな人間ドラマが生まれるとは想像もせず?

 してませんでしたね。僕も避難所に行ってわかったんですが、今って地方でもお隣同士で滅多に顔を合わせないし、ほとんど話したことがないという人が結構いたんです。でも、避難所で一緒に暮らす中でだんだん家族のようになっていった。そんな繋がりが生まれた理由として、今回の作品の主人公である愛子さんの存在は大きかったと思います。

――愛子さんは天真爛漫でお喋りで、避難所でも小学生のゆきなちゃんの誕生日会を大はしゃぎで盛り上げる愛されキャラ。「私いいとこきたと思った」「あの津波が私に幸せを運んでくれたの」とニコニコと話す姿に衝撃を受けた人は多いはずです。

 どんな生き方をしたらこんな言葉が出てくるんだろう!? と思いますよね。愛子さん自身、非常に魅力的な人ですし、僕としてもいちばん仲が良かったので、彼女がどんな人生を送ってきたのか、ちゃんと話を聞きたいと思った。

 あと、仮設住宅は住んでる地域関係なく抽選で決まるから、せっかく避難所で仲良くなってもバラバラになって、またゼロから生活の基盤をつくっていかなきゃいけない。ひとり暮らしの愛子さんが避難所を出て、この先仮設住宅でどうやって生きていくのか単純に心配でもあったし。作品が完成しても被災者の日常は続いていくわけで、もうちょっと彼らに関わっていきたいと思ったんです。

――本作では、愛子さんが2011年7月に仲間に見送られて避難所を出る様子から、仮設住宅で知り合った人々とおかずをシェアしたり、一緒に花を育てたり、新しい生活を楽しもうとする様子が断片的に描かれていきます。

 そんな日々の中で、愛子さんが口にする言葉がまたしてもすごい。たとえば、仮設住宅で暮らす老女について「私のように一人が当たり前できた者と、あの歳になっていきなり一人になった人は違う。息子さんもお嫁さんもお孫さんもいらして、でも孤独。私とは違う孤独なのよ」と話す言葉は、人間の孤独の本質を見事に言い当てていて、ドキッっとさせられました

 愛子さんは言葉がすごいんですよね。僕に向かって話すというよりは、独り言みたいな感じでポロッと口にする言葉が、すごく心に残る。

 あの言葉は、愛子さんが仮説住宅で暮らす高齢の女性のことを心配して発した言葉なんです。近くに息子さん一家がいるのに滅多に顔も出さなくて、彼女はひとりで病気の旦那さんの面倒を診てる。大丈夫かなって。

 愛子さんはずっとひとりで暮らしていたからこそ、人との繋がりを大切にする人で、人のことを自分ごとのように思える人だった。避難所で仲良しだったゆきなちゃんに対しても、「あの子にとっては私は通り過ぎていく存在だから。元気でいてくれたらそれでいい」と話していた。生きてきた中で自分に関わった人みんなを大切に思う気持ちをずっと温め持っていんですね。

2025.02.15(土)
文=井口啓子
写真=平松市聖