気持ちの整理ができるまで映画にできなかった

――そういう「真実」みたいなことを、愛子さんは洗濯をしたり、料理を作ったりしながらポロッと口にする。これぞ路傍の詩人というか。ああいう言葉は引き出そうとして引き出せるものではない。

 難しいですよね。愛子さんは基本すごいお喋りなんですけど、インタビューみたいにすると私になんか聞くこと別にないでしょ、みたいに喋らなくなる。かと思えば、ふとしたことが呼び水になってウワーっと話が始まるので、撮りこぼしたくなくて、一緒にいるときは朝から晩までほぼカメラを回していました。

――それはすごい。『石巻市立湊小学校避難所』の時は、藤川さんは車中泊をしながら現場に通ってたそうですが、今回は?

 最初はボランティア向けに貸し出してる家から毎日通っていたんですが、仮設住宅に入ってからは「そんなのもったいないから泊まればいいわよ」と言われて。さすがに女性の家に泊まるのは良くないと断っていたんですが、結局、愛子さんが体調を崩して撮影を中断する2013年11月まで家に泊めていただくようになりました。

――家族みたい。寝食を共にして共に時間を過ごしたからこそ撮れたシーンも多そうです。

 やっぱり信頼関係があったからこそ、あそこまで心を開いて喋ってくれたのかなと思います。仮設住宅から復興住宅へ移った2017年以降は、愛子さんも体調が悪くて精神的に不安定になってて。毎日電話がかかってきたんですが、僕も仕事が忙しくて出れないことが多くて……。

――電話ですか。冒頭の留守番電話の声を思い出すと、今も胸を揺さぶられます。

 そう、2018年に愛子さんが亡くなって、もっとできたことがあるんじゃないか? って、思ってしまって。気持ちの整理に時間が掛かりましたが、愛子さんが見せてくれた本当の心をちゃんと伝えなきゃって。ようやく映画にすることができました。

2025.02.15(土)
文=井口啓子
写真=平松市聖