納豆片手に帝国ホテルへ…忘れられないモデルの仕事は
浅野 19歳の時、クレオパトラ党のサリーと一緒に、面白い仕事やったことがあるのよ。アメリカのイラストレーターで、ピーター・マックスっていたじゃない?
近田 ああ、サイケデリック全盛期を象徴するアーティストだよね。
浅野 彼の展覧会が髙島屋の各店で開かれることになって、ピーターは宣伝のために来日したの。サリーと私は、そのキャンペーンのモデルを務めたのよ。私の裸の背中にピーターがカラフルなイラストを描いて、そのポスターが地下鉄の駅にズラーッと張り出されたりしてさ。
近田 おお、それは見たかったよ。
浅野 ピーターとマネージャーは日比谷の帝国ホテルに泊まってたんだけど、ある日、そのマネージャーが、「僕たちはしばらく大阪に行っちゃって部屋が空くから、君たち二人はここに泊まってていいよ」って言うのよ。
近田 それはラッキーだねえ。
浅野 私とサリーは、ちょうど水戸の髙島屋での仕事から帰ってきたところだったんで、お土産の納豆を手にぶら下げたまんま、「私ら、納豆臭くないかなあ」なんて心配しながら、帝国ホテルのエレベーターに乗り込んだの。
近田 まあ、ちょっと場違いな感じだったろうね(笑)。
浅野 サリーも私もお腹が空いてたんだけど、手持ちのお金があんまりなかったし、そもそもこんないいホテルに泊まったこともないから、恐る恐るルームサービスに電話して、カレーライス一つだけ頼んでみたの。それが部屋に届いて、財布を出そうとしたら、ホテルマンが、「あっ、支払いはサインで大丈夫ですよ」と遮る。それからは、もうツケをいいことに、食べたいだけ食べちゃって(笑)。
近田 それにしても、怒涛のような10代を過ごしたもんだよね。浅野順子一代記、次回はようやく浅野忠信さんが誕生いたします!
〈次回に続く〉
浅野順子(あさの・じゅんこ)
1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。
近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、宮台真司との共著『聖と俗 対話による宮台真司クロニクル』(KKベストセラーズ)。
2025.01.25(土)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖