絨毯バー、トイレがマジックミラーの店も…個性豊かな店の数々
近田 あの頃は、曲に合わせたダンスステップにも、いろいろと種類があったよね。
浅野 そうそう! 今みたいに動画だとかネットだとかがあったわけじゃないから、ディスコに出向いて一生懸命真似しましたよ。横浜に、アフリカ系しか来ない「コルト45」っていう店があったんだけど、わざわざそこに行って、玉虫色のスーツを着たブラザーたちが踊るフリーチャチャっていうステップをじーっと観察して覚えたり。
近田 それで、家帰ってから、思い出しながら練習するんだよね(笑)。
浅野 あの頃は、何でも東京より横浜の方が進んでましたよ。やっぱり、本牧に米軍住宅があったから、アメリカから最新の情報が手に入ったことが大きい。
近田 ザ・スパイダースの面々がアマチュア時代のザ・ゴールデン・カップスの噂を聞きつけ、本牧まで彼らのステージを観に行ったら、女性客に「ここはあんたらみたいな芸能人が来るところじゃないのよ」と冷たくあしらわれたという逸話があるよね。
浅野 あの時代、新宿なんかには、絨毯の敷かれたディスコみたいなのがあった。
近田 はいはい。絨毯バーって呼ばれてたよね。
浅野 靴を脱いで絨毯に上がるんだけど、そうすると靴下が滑るのよ。だから、ジェームス・ブラウンみたいに脚バーッと開いてまた閉じて立ち上がったりとかさ、いろいろ練習できたのよね。ある晩は、お風呂屋の帰りに絨毯バー寄ったら、踊って汗だくになって、何のために銭湯に行ったのか分かりゃしない(笑)。
近田 他にも、いろいろと趣向を凝らしたディスコがあったよね。
浅野 あれはどこのディスコだったかな。トイレの個室の壁がマジックミラーになってて、その内側から店内が丸見えってとこがあったのよ。外側は鏡になってるから、お客さんはこっちを見ながら踊ってるわけ。落ち着いて用を足せないわよ(笑)。
2025.01.25(土)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖