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 ロロの新作公演「劇と短歌『飽きてから』」は、劇作家である三浦直之さんと歌人の上坂あゆ美さんが戯曲と短歌をやりとりしながらつくった作品。上坂さんはキャストの一人として出演も。さらに、歌人としても活動する芸人の鈴木ジェロニモさんが今作で演劇に初挑戦します。3人に、新しい試みがふんだんに入った今作について伺いました。


歌集のような演劇をつくりたい

──「劇と短歌『飽きてから』」は、三浦さんと上坂さんがやりとりを重ねて脚本をつくっていったそうですね。この取り組みは、どんなふうに始まったものですか?

三浦 去年、ロロで『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』という芝居を上演したんです。1〜4分くらいのすごく短いエピソードを30個くらい、バーッと連続して上演する作品で。歌集みたいな演劇になるといいなと思って、執筆中によく短歌を読んでいたんです。

 人生の一瞬しか描かれないけれども、その一瞬のなかにそこで描かれた人物が生きた時間とか、その人の暮らしが広がっていくようなものにしたいと思っていたら、上坂さんの歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)にはまさにそれがあるな、と感じたんです。一首一首は短い言葉の連なりなのに、その中にすごく長い時間が閉じ込められている。そこで上演のときにアフタートークをお願いして、「歌集みたいな演劇をつくってみたいんですけど、一緒にやりませんか」と。

上坂 いちばん最初にお会いした時も言われて、その後アフタートークでも。

三浦 上坂さんがアフタートークに出た日に、ちょうど鈴木ジェロニモさんが観に来てくれていて。僕はそれまで面識がなかったんですが、上坂さんが紹介してくれて、「じゃあ一緒にやりましょう」と。

──初対面でジェロニモさんも参加することが決まったんですか。

三浦 一緒に飲んで、その時のノリで(笑)。

ジェロニモ 僕はもともとロロの作品が好きで。この日に打ち上げに参加させていただくことになって、この場での振る舞いが評価されるのではないか、と。

三浦 オーディションだと思ってたの?

ジェロニモ ひそかに(笑)。

上坂 実際にはオーディションとかもなく、私が「ジェロさん、一緒に出ようよ〜」と言って実現しました。

「飽きる」というテーマ、その怖さ

──短歌と戯曲とをやりとりして作品をつくっていくという形式はあまり聞いたことがありませんが、上坂さんは誘われたとき、どんな気持ちでしたか?

上坂 最初から、今も、ずっとワクワクしていて。三浦さんから、演劇の脚本をずっと書いていると飽きる、「これでいいのかな」という気持ちになることがある、と伺って、すごくわかる気がしたんです。

 私も短歌ばかりをずっとやっていたら短歌のことを嫌いになりそうで怖かったので、エッセイを書いたり、ラジオに出たり、いろんなことをして今がある。だから、三浦さんと一緒にやったら、観たことのないものが楽しくできるんじゃないかと思いました。

三浦 ただ、上坂さんに最初にタイトルを持っていって「最近いろんなことに飽きてきている」というお話をしたとき、上坂さんは「飽きるという感覚がわからない」と話されていたんです。それがすごく面白いなと思いました。飽きることに共感してつくっていくより、それに対して距離があるところから始まるほうが、今までと違うものがつくれるんじゃないかと。

上坂 そう、最初はわからなかった。それはいま思うと、きっと「飽きる」という言葉を使うことを避けていたんです。「このままでは嫌いになってしまうかも」という感覚を、飽きると形容しない。飽きる前に別のことに取り組む。そうやって「飽きる」こと自体を避けてきた。そういうめっちゃ細かい部分の、自分の心情に気づいた。「飽きる」と言っちゃっていいんだ、という発見がありました。

 三浦さんと私とは、そういう部分も、作品をつくっていくなかでも、「違うな」と感じることが多くて、面白いです。

ジェロニモ 僕も芸人としてネタをつくったり舞台に立っていく中で、飽きるという言葉が自分から出るのってすごく怖いことだと思っていたんです。最初は好きではじめたことだし。だから、三浦さんが最初のテーマの時点から「僕はけっこういろんなものに飽きていて」とさらっとおっしゃるのが衝撃でした。飽きた上で創作に向き合うということを自分に課しているのかな、と。

 あと、飽きるって「飽和」の飽でもあって、何もかもがサブスクで摂取できるコンテンツ飽和時代だからこそ、自分が何を面白いと思うのかを考える必要がある。そんな、いまの時代の話でもあるのかな、とも思いました。

2024.08.23(金)
文=釣木文恵
撮影=佐藤 亘