リズはジェイミーを連れ回し、セリオーの霊が見えないか尋ねる。ジェイミーはついにセリオーの霊と対面し、使命を果たす。だが、真の恐怖はそのあとに待ち構えていたのだ。「これはホラーストーリーだ」という冒頭の文章が、忘れた頃になってリフレインされるのが実に不気味である。

 異能を持つ主人公が物語の中盤で犯罪捜査への協力を要請される……といえば、『デッド・ゾーン』を思い出す読者もいるだろう。しかし、『デッド・ゾーン』の透視能力者ジョニー・スミスが成人した元教師であり、彼に異能を役立てることを勧めるバナーマン保安官がまっとうな人物なのに対し、本書のジェイミーはまだ少年であり、そんな彼を強引に犯罪捜査に役立てようとするリズは倫理的にかなり危うい人物としか思えない。犯罪捜査に協力する異能者という似たモチーフを扱いつつ、その点が両作品の決定的な差異と言える。そもそも、母のティアからして、自分が担当していた作家が急死し財政的危機に陥った時、息子の能力を利用してその作家の遺作を完成させるという反則で切り抜けているくらいで、ジェイミーの能力をエゴイスティックな動機で役立てようとする点は(程度の差こそあれ)同様とも言える。

『スティーヴン・キング大全』によると、キングは本書の着想について「著作権エージェントについて書きたかった」「このエージェントの稼ぎ頭である顧客が急死する。彼女はどうする? 彼女に死者の見える息子がいたら? その息子がたずねることに死者はかならず応えなければならないとしたら? で、思った。“よし、これでストーリーになる”」と述べている。『シャイニング』(一九七七年)や『ミザリー』や『ビリー・サマーズ』などと同様、本書もまたキングらしい「小説についての物語」の一種として誕生したわけである(なお、本書がルーシー・リュー主演でドラマ化されるという情報が二○二二年に公表されたが、彼女の役柄はティアであると思われる)。

2024.07.24(水)
文=千街 晶之(ミステリ評論家)