「私が質問振るんで、それに答える感じでお願いします」

「オッケーです」

「じゃあいきます――はい、回った」

 撮影開始が告げられると、すでにバンビちゃんは自然な笑顔を作っていた。

「今日は何時入りですか?」

「実は別の番組の収録があって、今日はお昼から今までずーっと局にいます。けど楽屋に置いてもらってた叙々苑のお弁当で元気チャージできてるんで、絶対勝ちまーす」

 なめらかな答え。そこからディレクターの合図を受けて、番組名と開始時刻を正確に口にしたあと、「観てね!」と締める。鮮やかなコメント撮り。

「はいバンビちゃんオッケーです!」

 すごいな、と思う。急にカメラを向けられて即座に正確な番組名と開始時刻とちょうどいいコメントを言える適応力、前室の地味な背景でも映える明るい笑顔――そのへんの技術にも驚いたんだけど、おれはなによりもバンビちゃんの楽屋に置かれていたのが叙々苑の弁当だったことに衝撃を受けていた。なにしろおれに支給されたのは小指の爪くらいの唐揚げがころころ入ってる中華の弁当だったから。全然お腹いっぱいになれてない。

 とはいえ、おれにだって、「この芸人さんをもてなそう!」という意志を感じるいい弁当が出されてた時代もあった。七年前。でも今となっては、京極バンビと仁礼左馬では、タレントとしてのランクが違うということなのだ。分かってはいたけど、やっぱり悲しい。

 だがおれの思考はつねにポジティブに流れるように重力を操作してあるので、思い至る。もしタレントとしての格ではなく、役割の違いで区別されていたとしたら? この番組では、明らかに人狼側の負担がでかい。人狼側がとんちんかんなムーブをすれば番組自体が成立しなくなる。そのプレッシャーは尋常じゃないはずだ。実際おれも七年前の全盛期にはスパイ系の番組とかドッキリの仕掛け人側を何度かやったことがあるが、その収録終わりは緊張と興奮が持続してまったく眠れなかった。

2024.07.07(日)