ちゃんと腰痛いとか老眼だとか言いたい
――エッセイの「還暦は先延ばし」の章も面白かったです。イメージする還暦とは違うけれども、それを受け入れているような内容。少年っぽさを持っていたいという意識はありますか?
全くないです。アンチエイジングもしたくないんですよね。年齢を止めたくないし、ちゃんと腰痛いとか老眼だとか言いたいです。
――現場でも光石さんの周囲には、若い女性スタッフさんが集まってくると共演者の方からお噂を伺います。年齢に関係なく、コミュニケーションを上手に取るコツは何ですか?
特にないですね。ただ、尋ねられない限りは、苦労話や自慢話はあまりしないようにしています。僕も自分から若い人に話しかけたりはしてないです。向こうから寄ってきてくれたり、僕に興味を示してくれたりした人には、「こんなおじさんだよ」ってすごくサービスしますけど(笑)。
――サービス(笑)。お若いときには、先輩に対してはどんなふうだったのですか?
僕は結構、先輩の話を聞きたがった方ですね。叱られたときもありましたけどね。
――映画の撮影現場も昔とはだいぶ違うのでしょうね。
主役の方は別として、僕らは監督とは全く話せませんでした。いまはこのご時世ですし、監督も若いし、みなさんものすごくフレンドリーです。
昔はよく怒鳴られていました。スタッフの助手の子と同年代だったから、僕が叱られた後に、助手の子たちが気遣ってくれたりして、仲良くなっていきました。
四十数年間俳優をやっていると、現場にはご一緒するのが二度目、三度目の人がいますし、光石 研という人となりを多少なりともわかってくださる。すごく良くしてくださるし、ミスも助けてくださるんですよね。だからいまは楽しく現場に行かせていただいています。
――光石さんに注目したのは岩井俊二監督の『スワロウテイル』からなのですが、1990年代は単館系の多くの映画で目にするようになりました。
あの頃、単館系の映画は勢いがありましたからね。それで注目されたのが「バイプレイヤーズ」のメンバーなんですよね。大杉 漣さん、遠藤憲一さん、寺島 進さん、田口トモロヲさんと僕が、『週刊朝日』で特集されて、松重 豊さんも加わり下北沢で「6人の男たちフィルムズ」という特集上映を開催していただいた。あそこが僕の原点だと思います。
――『シン・レッド・ライン』でハリウッド映画に出演されたときに「日本のインディーズ映画を背負ってやってきているんだ」という思いがあったのだとか。いまでは、映画、ドラマ、作品の規模にかかわらず幅広く出演されています。小さな作品にも出られるのは、インディーズ映画出身という意識があるからですか?
インディーズ映画で教えてもらったことが僕の根っこに確かにあります。
ただ、俳優にとって作品の大小ってそれほど関係ないんですよね。だから、あまり気にせずいただいた仕事を、というスタンスです。生前大杉 漣さんもそうおっしゃっていました。
2024.07.06(土)
文=黒瀬朋子
撮影=榎本麻美
ヘアメイク=大島千穂