「違いはない、問題はない」と言われてしまう
ーーほかのマイノリティ研究を勉強していて気づいた、共通点とはどのようなものがありますか?
フェミニズムを学んでいて思うのは、多くの人が女性と男性の違いについては理解をしていながらも、「平等である」という感覚もすごく強く存在しているということ。実際にはいろんな面で女性にとって働きづらかったり暮らしづらかったり、不利益な制度などが存在しているのに、表向きには平等だと見られている。フェミニズムがそこにある格差をズバリ指摘している点は、ほかのマイノリティとマジョリティの関係にも重なると思っています。違いはない、問題はないと言われてしまうことに、違いがありますよと気づくいろんな糸口を用意してくれているんですよね。
そしてセクシュアルマイノリティや軽度の障がい、アジア系の在日外国人の研究を学んでいて思うのは、本当は自分はマジョリティとは違うものを持っているんだけど、気づかれないと存在しないものだとされてしまう点。ここには本当は違う考えを持った人、違う性質を持った人がいるんですよということを、わざわざ手を挙げて言わないとわかってもらえない。本当に悪意なく、みんな一緒で良かったとまわりが勝手に納得してしまう。そこに気づいてもらうためには、ある程度リスクを負って名乗る覚悟をしなければいけなくて、そういう葛藤の部分は非常によく似ています。
ーーアイヌに関するネットのニュースなどでは「北海道民だけどアイヌに会ったことがない」「差別なんてない」「興味がない」なんていうコメントも見受けられます。
あえてマイノリティを相手に選んで「会ったことがない」「いない」と書くことには、存在や主張を打ち消したい意図を感じます。
もうひとつ、「差別」という言葉を、面と向かって悪口を言う、暴力を振るわれるなど直接的なものでしかイメージできていない面もあると思います。直接的な暴力やヘイトは公の場所ではなく隠れて行われている事が多いので、見たことがないのは当然ですよね。
しかし、差別は直接的なものだけではなく、制度的な差別、文化的な差別もあります。よく知られるアパルトヘイト(人種隔離政策)は代表例です。
ーー「差別」という言葉に、他者を傷つけるような言動を取ることしかイメージが湧かないんでしょうね。学校で「差別をしてはいけない」と学んだとしても、その「差別」が何を指しているのかをわかっている人は少ない。
北海道でもかつて、アイヌは和人と取得できる土地の広さが違ったり、同じ教育を受けられなかったり、差別的な法によって同等の権利を与えられていませんでした。サケ漁を禁止されたり、同化政策によって言語や文化を奪われたことも事実なので、「差別なんてない」はありえませんし、それにいまだに差別意識は根強く残っています。
2024.05.05(日)
文=綿貫大介