この記事の連載

SUPER MONKEY’Sのデビューが決まったときに死ぬほど頑張った

――その後、1992年にSUPER MONKEY’Sの活動がスタート。安室さん、牧野さんもメンバーに抜擢されるも、牧野さんはデビューから早々に脱退されたそうですね。

牧野 レッスンでは横並びでも、デビューした途端人気が全て。売れることが価値になるんです。ステージに立つと、プロデューサーもディレクターもお客さんもみんな奈美恵しか見ていなかった。奈美恵は14歳にして、人を惹きつける魅力やカリスマ性を持っていたんです。

 しかも、奈美恵は歌もダンスもとんでもなく努力する子で、練習も楽しくてしょうがない。練習が終わってもずっと歌ってるし、歩きながら踊ってるんです。

 一方、私は歌もダンスもやらねばならぬ。ステージに立つために練習せねばならぬというマインドで。才能やカリスマ性があって、努力も楽しむ14歳と、才能がないと言われて努力が苦痛な20歳の私。既にデビューしてしまったけど、自分が向いてない世界に1分1秒でも長くいることは無意味だと思ったんです。

 父には、元々お前は表に出るタイプではなくて指導者だと言われていました。でも、15歳の1回目のデビューで上手くいかなかった思いがずっとあった。その後悔を断ち切るためにSUPER MONKEY’Sのデビューが決まったときに死ぬほど頑張りました。これ以上ない努力したところを、奈美恵が軽々超えていって、やっと次のステージにいくことができました。

牧野アンナ(まきの・あんな)

1971年12月4日生まれ。東京都生まれの沖縄育ち。沖縄アクターズスクール代表取締役COO兼プロデューサー。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創設者。

次の話を読むなぜ20年の絶縁生活になったのか牧野アンナが語る沖縄アクターズスクール創設者である父との関係

2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘